私も三つ四つから踊っていました。出家してからも、八月の十二日前には、徳島へ帰り、寂聴連の人々を集めて、その先頭に衣の袖をひるがえして踊りました。

 さすがに、九十五歳くらいからは無理になり、踊れないどころか、徳島へ一人で行くことも不可能になりました。

 今年は、コロナのせいで、阿波踊りもなければ、寂庵の目と鼻の近くの嵯峨の火祭りもありません。

 阿波踊りには、ヨコオさんと、平野啓一郎さんが一緒に来てくれましたね。

 急遽(きゅうきょ)、二人に男踊りを伝授して、寂聴連に入ってもらい、華々しく踊りました。

 大きな案内の放送の声が、ヨコオさんと平野さんの踊っていることを告げました。見物席から、ワッと声と拍手が湧きました。

 お二人の何とも云(い)えない下手な踊りが、見物の目をどっと楽しませ、拍手と声援は益々(ますます)高まりました。

 お二人とも、ご自分の踊り姿は見えないので、お相手の踊りの下手さを、さもおかしそうに笑っているのが、とてもコッケイでした。あれも楽しい想い出です。

 コロナのおかげで、まるで戦争中のように陰気な夏でしたね。のんきな私も、暑さと陰気さにまいって、毎日ぼうっとして、何一つ手につきません。あんなに張りきっていた油絵を描くことも、支度ばかり賑(にぎ)やかにして、まだ筆をとる気が一向におきません。

 老人が毎日、暑さにやられて、たくさん死んでゆく数が、報告されています。

 九十八年も生きてきて、こんな夏はかつてなかったなと思いながら、氷をかじっている毎日です。

 コロナの恐怖は益々強くなって、人々は家にとじこめられ、うめいているばかり。ヨコオさんのおっしゃる下手な自分の油絵の処女作を早く私自身も見たいものです。

 気ばかりあせって何も出来ないのが真正老人になった証拠かもしれませんね。

 次には、もっと景気のいい話を書きたいものです。ではまた。

週刊朝日  2020年9月4日号