半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。
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■横尾忠則「セトウチさんの油彩第一号、楽しみ!」
セトウチさん
ああ、これでやっと面白い絵が描けますね。点でも線でも、○でも△でも□でも、そのまま、セトウチさんの本能が表れます。絵は文章のように誤魔化(ごまか)せません。
まあ、それとは別に、あんな面白い手紙、あとにも先(さ)きにも生まれて初めて、呵々大笑(かかたいしょう)しました。ああ、面白かった。そう、セトウチさんがおっしゃる通り、僕のことを見そこなっておられたんです。セトウチさんの前では猫かぶりはしていませんが、普段の僕は猫のようにしたいこと、やりたいことの我がまま放題です。セトウチさんはそんな僕に直面していらっしゃらないので、<心根が穏健で、他人に怖い顔など見せたり、きつい言葉を浴びせたり絶対しない御仁>(そんな人いません)に見えていただけで、僕を見そこなっておられたんです。
UFOに対する博愛に比べてセトウチさんには「悪口雑言」ってところは何度読んでも、なんでこんなことで怒ってらっしゃるのか、そんなセトウチさんを想像して、ころげて笑いました。
ところで、あのハンサム画伯はどうなったんですか。小説家の気まぐれに呆(あき)れて帰ってしまったそうですが、画家も小説家も「気まぐれ」は美徳です。本物の画家ならここからが勝負です。画家はその内部にデモーニッシュも狂気も秘めていなきゃいけません。セトウチさんの気まぐれに腰が砕けちゃったんですかね。そのセトウチさんの見せられた気まぐれは、見たかったですね。
じゃ、いよいよ、独立、独歩、独学、独断、独身で画境一筋に邁進(まいしん)して下さい。先ず、画材屋さんに来てもらって、ペインティング・オイル(水彩でいう水です)と、油彩用筆洗油、パレットは紙製が便利、それから筆数本、あとは空缶(あきかん)とか、筆拭きの雑布、実に簡単です。画材屋さんは、初心者だと思うとあれこれ売りつけますが、他に買う物はありません。直(す)ぐ描いて下さい。ゴッホみたいに、直接絵具をキャンバスに塗りたくってもいいし、パレットの上で絵具を混ぜて、好みの色を作る、ここまでは今までの水彩画のやり方と変(かわ)りません。