もちろん、場所中は観客のいない寂しさはあったが、呼び出しの声や柝の音が響きわたり、それはそれで知らなかった情趣を知ることができた。

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 多くのイベントや競技が中止になるなか、これまでと違う楽しみ方があることに気付く。そしてもう一つ、催事や式典本来の持つ意味を考えるには絶好のチャンスだったと思うのだ。

 多くの人々が心配した卒業式や入学式など、私個人は女子大学生の制服のような袴姿や、親だけでなく祖父母にいたるまで家族一同が参加することが疑問だった。小・中学など義務教育ならまだしも、大人の入口に立つ若者は個人としての自覚を持つことが大事だ。

 今年はその本人さえも卒業式に参加できず、代表者だけ参加といった寂しい卒業式もあったようだが、式本来の意味を考えるにはふさわしい簡素さであったのではなかろうか。

 まるでファッションショーのような華美さや、家族の展覧会のような卒業式後の感謝パーティなど、なくてもいいものがとり払われてすっきりしたと言えなくもない。

 こんなことを言うとへそまがりだと思われようが、私はすべからく式典は簡素で心のこもったものがいいと思っている。

 そしてもう一つ、今年の日本の大イベント、オリンピックもコロナのおかげで延期になった。

 これもまた、オリンピックに賭けているアスリートには申し訳ないが、オリンピック本来の意味を考えるよいチャンスかもしれない。日本はコンパクトと簡素さを最初うたっていたが、結局は、商業主義で華美な式典になると予想された。だが、延期になればそれへの反省やオリンピックの哲学を考え直す機会になるかもしれない。

週刊朝日  2020年4月10日号

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下重暁子

下重暁子

下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。この連載に加筆した『死は最後で最大のときめき』(朝日新書)が発売中

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