家族も総出で土地を切り開いた。東京でいじめにあっていた真吾さんは、小学生のうちからチェーンソーを扱い、中学生でパワーショベルを乗りこなすようになったという。

 地域に溶け込む努力もした。

「ここへ来たとき、大工さんやペンキ屋さんとかいろんな人にお世話になったんですが、お土産に何を持っていっても喜ばれなかった。あるとき、おばあちゃんから、東京で新鮮な魚があるかと聞かれてね。東京で新鮮な刺し身をいっぱい手に入れて配ったんです。それで、ここの人気者になれたの(笑)。山梨県は海なし県で、魚に飢えている人が多かった」

 89年には、雑木林の一角にレストラン「八ケ岳倶楽部」を開設。避暑地として訪れる観光客に四季折々に移り変わる雑木林の素晴らしさを伝えてきた。妻の発案から、売り出し中の作家の芸術作品を並べるギャラリーも併設し、作家らを応援する場にもしている。

 2015年に真吾さんが咽頭がんで早世してからは、次男の宗助さんが運営を引き継いでいる。宗助さんは、親の影響のないところで自分を試したいと海外で仕事をしていた。だが、真吾さんから相談を受け、八ケ岳に戻ってきた。

 今いる社員11人は県外から来た人ばかり。ここで何組ものカップルが生まれ、60人以上もの子どもが生まれた。柳生さんは、みんなの「じいじ」になっている。

「市が保育園などの支援に力を入れていて、子育てを機に越してくる人も増えてきました。ついでに祖父母も一緒についてくるパターンもあります。いま、週に2、3日だけお父さんが会議とかで東京に行き、後は田舎でも仕事がまわるような働き方をしている人がたくさんいますよ」

 田舎で広めの家と庭を構え、休日に畑や庭の手入れをしに来るといった生活をする人が増えているという。

「僕の影響で移住してくる人がいるんですが、移住してこいと言ったことはありません。都会は悪いことばかりだといって、完全移住の『田舎暮らし』を理想とする風潮があったかと思います。でも、今は田舎や都会に限らず、電車や飛行機を使えばどこでも移動できます。いろんな場所がありますから、いろいろ行って、自分がほれた場所に拠点を置けばいいのではないでしょうか」

 柳生さんは、「日本野鳥の会」の会長(現・名誉会長)を長年務めるほど鳥好きでもある。

「『鳥瞰(ちょうかん)』する能力を持つのは鳥だけ。万葉集など昔から鳥についてうたうでしょ。みんな鳥に近づきたいわけですよ。都会にせよ、田舎にせよ、一地点だけに絞ってしまうと、そこでうずくまって、身動きが取れなくなってしまう。それより、人間も鳥のようにいろいろと渡ったほうがいいと思うんです」

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