※写真はイメージです (Getty Images)
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 編集者・作家の佐山一郎氏が選んだ“今週の一冊”は『青い秋』(中森明夫著、光文社、1800円※税抜き)。

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 表紙カバーは、この自伝的小説に何度か出て来る篠山紀信(篠川実信)の撮影による。新国立競技場を臍(へそ)にした遠景には新宿の摩天楼群が見える。新宿通りと外苑西通りが交差する四谷4丁目の交差点も埋もれているはずだ。

 プロローグは井上靖詩集の一節を彷彿させる。青春ならぬ“青秋期”の定義と、八つの小品群からなる本作でリフレインされるパラグラフが切ない。

 作家の私=中野秋夫は、還暦が近いのに、結婚歴も子供も財産も思想も戦略も野望もないナイナイづくし。完全自立の成熟を果たせなかったことが悔恨まじりに繰り返される。だが、なんてつまらない人生なんだ、ただ来た球を打つだけのアイドル専門ライターと自嘲しながらも、異能の人らしい矜恃は捨てない。

 三重県の半島の漁師町で11歳の私は南沙織の唄う「17才」と出会う。アイドルが生の原動力になってきたことを私は隠さない。15歳で上京。高校を中退し、バイト暮らしから20歳でフリーライターになる。父は19歳の時に他界した。やり手の私は、ジャズエイジならぬ“マガジンエイジ”の象徴的若者にまで駆け上がる。「新人類の旗手」ないしは「おたく」の命名者として、1980年代前半から著者の名は拡散してゆく。

 同世代の仲間と「新人類三人組」と呼ばれて注目され、月刊グラビア誌でのフォトセッション企画<新人類トリオの解散宣言!>にたどり着いたのは、85年暮れのことだった。

「なんと私のお尻の上に、(19歳当時の)小泉今日子が腰掛けたのだ! (中略)ああ、あのぬくもりがあったからこそ、なんとか生きてこられた。心からそう思う。本当だ。おかげで、その後、私は三十数年間もアイドルの魅力を語り続けることができたのだろう。/あのぬくもりが……」(「新人類の年」)

 前世代に圧倒された時代の寵児はやがて心を病み、「二十六歳で私は年老いた。一日中、ベッドの中でふるえていた」と記すのを憚らない。86年春、四谷4丁目交差点のビルから飛び降り自殺をした岡野友紀子(岡田有希子)ショックも追い討ちを掛ける。ゴクミとおぼしき野口久美子や宮沢りえらしき宮川えりとの交流のあれこれが描かれた「美少女」の章も読ませどころだ。

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