とはいえ歳月ははしこい。どこへ行っても最年少だった売れっ子ライターの前に、往年のファンが編集者やテレビ文化人になって現れる。真正ロリコンでないことを証明することにもなる最終章「彼女の地平線」では、現実の恋愛模様が追慕と共に綴られる。遅い34歳の恋なのに、「男の子みたいな女の子にホモセクシャルで、二十歳以上のロリータにロリータコンプレックスなんだ、僕は」と言ったりする。

 業界小説好きにはたまらない仕上がりなのだが、異端者に舌打ちをする側には人名、雑誌名などの微妙なアレンジが気にさわるかもしれない。虚実皮膜の生成で得られるものは何か。筆法の自由か、身の安全か。

 だがこの種のケースでは、長生き競争に敗れた側が危ない。最たる“被害例”が、秋夫を明菜くんと言っていた「新聞社系の週刊誌」「夕日ジャーナル」編集長・筑井哲夫だろう。新人類命名者は作中で露ほども感謝されていないのだ。「このオヤジこそ新人類だよ! と思った」(「新人類の年」)の箇所では世代ギャップの悲惨さに吹き出してしまった。

 反対に主人公の主観的好みで救われたのは、晩年の酒乱交流を「新宿の朝」の章で活写された西部邁らしき東部進だろう。筑井哲夫には感謝も価値づけもしないが、アイドルからの無形の贈与にはこれからも返礼の義務を果たしながら生きていく。その青い姿勢こそが中森明夫としての正しいあり方なのだろう。野坂昭如の自伝的実名小説『新宿海溝』(79年)との読み比べも一興だ。

週刊朝日  2020年1月24日号