この政策の提唱者たちは[話す力][書く力]を強調してみせるのは格好良いが、実際上は全ての推進力の根源である[読む力]の授業時間の削減を意味し、英語力全体の低下を結果として招くことに思い至っていない。

 そもそも[話す力]と[書く力]は各大学が2次試験で行えば良いことである。こういう基本的なことを理解出来ない政治家たちが寄ってたかって、日本の英語教育を劣化させている気がして憂慮に耐えない。

 私は41年の外交官生活を終えて、3年前から私立大学で英語を教えている。今の学生たちを見てつくづく思うのは、私自身が受けた英語教育は間違っていなかったということである。

 英語を自由に使いこなせる人はその中に一人も居ないと思われる人口10万人の地方都市に生まれ、中学、高校は名古屋の進学校で教育を受けた。英語は文法を中心とした大正時代から続いているであろう伝統的な教育であった(教科書は[新々英文解釈研究]山崎貞著であった)。

 今でも自分を褒めてやりたいと思うのは、学校での勉強に加えて、中学3年ころからNHKラジオの英会話番組(講師は松本亨先生)を聞き始めたことである。学校の先生方は優れた英文法教育を施してくれたが、英語の発音はカタカナ英語であった。NHKラジオに出てくるネイティブのゲストの発音と随分かけ離れていて、どっちが正しいのか最初のうちは戸惑った。

 やがてNHKラジオのお陰で私のカタカナ英語は矯正されて、ネイティブに近い発音が出来るようになった。発音が良くなればどんどん通じ始める。通じるとどんどん話したくなってきた。勉強が楽しくなり少しでも余った時間を見つけては勉強した。大学入試も、外交官試験も英語で点数を稼ぐことが出来たので、あまり苦労はしなかった。

 社会人になってあるとき、各界で活躍している人で英語のうまい人に出会うと「どうやって英語を勉強したのですか」と聞いてみた。答えは私の勉強法と同じだった。つまり英文法、英文解釈を中心とする伝統的英語教育、それに加えてNHKの英語講座を熱心に聞いて発音やリズムを学んでいたというのだ。

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今の混沌とした英語教育にしたのは