松本:そもそも00年代の初めに僕らの人気が出始めたころも、女子高生とか若いお客さんはいなかった(笑)。単独ライブをやってもお子さんを連れたファミリー層が多く、漫才やコントというよりも、純粋に「楽しませる」ことを求められているなと感じていました。それは今のレクリエーションにつながっているかもしれません。

西川:徐々に仕事が減って暇になっていくなかで、松本君から「介護のことを勉強してみよう」と言われて、スクールに通うようになりました。2カ月間毎日通い詰めて、14年に介護職員初任者研修の資格を取りました。

──介護を仕事に、という意識はあったのですか。

西川:元々はなかったんです。「笑いと介護」というのはなかなか難しいというか、4、5年前は今ほど介護の世界が笑いを許容するほど開けていなかったと思うんです。だから勉強はするけど、施設を回ってネタをするというのは考えていなかったです。

松本:僕らはどうしてもいじってしまって、笑いにしてしまうから。それは失礼にあたるからやめとこう、と話していました。

──どうして風向きが変わったのでしょうか。

松本:レクリエーション介護士という資格を取ったことです。みんなが参加できる出し物を人前でやる資格です。ゲームだから間違えてもいい。「後出しジャイケン」で負けの手を出さなければいけないところ、利用者の方が間違えても「いやいや勝ってもうてますよ」みたいな。恥をかかせることなく笑いに変えていくんです。これなら芸人に向いている、と。

──戸惑いなどはなかったのでしょうか。

西川:失敗はありました。僕らがレクをしている最中に、レクとは関係ないところで男性の方が大きな声で話されていたんです。空気を大事にしたい芸人の性で、巻き込もうとして声をかけたんです。そうしたら、「誰に口きいとんじゃ、お前!」って。

松本:西川君は腰抜かして倒れてしまった(笑)。最初のころは高齢者の方との距離感も、何を言ったら失礼になるのかもわからなかったです。「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼びかけるだけで怒る方もいらっしゃいますし。徐々に形ができあがってきた感じですね。

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