若い(といっても、もう平野さんは大家の風格になりましたが)平野さんも、私から見れば「カッコいい男」の先端に位置しています。

 平野さん一家と横尾さん一家と私とは、まるで血縁の親類のように仲がよく、それがすでに長年つづいています。私は平野さんも、横尾さんをおっかける天才組の一人だと信じています。カッコ悪いことを、中国では「不好看(ブーハオカン)」といいます。戦争中、私が嫁いでいた北京では、赤ん坊や小さな子供を、背負った日本人の若い母たちを、このことばで非難していました。あそこでは子供は西洋風に胸に抱きます。

 この手紙も最後まで「好看(ハオカン)」に進めたいものですね。

 そうそう朝日新聞のあの時の横尾さんのこの頁のさし絵は「エロすぎて」書き直しさせられましたよね。あれも、これも、はるか昔のこと!

 では、また。お元気で。

■横尾忠則「まなほ君も、いつか尼僧にでもなって」

 セトウチさん

 のことを声に出すとセトウッサンになります。この往復書簡がセトウチさんに生きる歓びを与えるのは嬉しいですね。セトウチさんと会ったのはお忘れでしょうが、四谷の小料理屋で、S酒造会社の一頁広告の対談だったのです。セトウチさんが一気に話されて、最後の最後に僕がワーッとしゃべったんですよ。車の中での養母の話は、死の床で彼女の身につけていた胴巻の中から汗でぐっしょり濡れた春画が四、五枚出てきた、という、ちょっと純文学的世界でしょ。

 それから平野さんの『「カッコいい」とは何か』は送ってくれたので僕も読みました。内容もカッコよかったです。60年代は三島さんがカッコいい男性No.1でした。三島さんは礼節に関して厳しかった。「君の絵は無礼だけれど、人間には礼節が必要だ。タテ糸が芸術だとするとヨコ糸は礼節だ。この二つの交点に霊性が生まれる」。そんな芸術論をコンコンと諭されたのも今は昔です。

 三島さんは地上で認められる芸術ではなく天上が認める芸術でなきゃダメだと言っているように聞こえました。霊性の高い芸術こそが天才の証明だと、自らは天に属する者であると自認していたように思います。天才の条件も色々ありますが、短命も天才の条件として、三島さんは「時間がない」と言いながら、早いこと死んじゃいましたね。

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