必要があれば連絡できる相手と毎年、年賀状のやりとりをするメリットは小さいと考えた。そして、その決心の数カ月後にやってきた新年。出さなかった代わりに届いた年賀状と同数、500枚ほどの「寒中見舞い」を出し、そこには、「還暦を機会に年賀状をやめました」と記したという。還暦というラインがちょうどよいきっかけだった。突然やめるのは心が痛むからだ。とはいえ、寒中見舞いで「年賀状やめました」宣言をしたものの、翌年も100枚ほど年賀状が届いた。そしてまた同数の寒中見舞いを出した。これをしばらく続けるという。

「これを最後に年賀状を出しません」という趣旨のメッセージを書いて出す年賀状は、友人の身辺整理の一つとして、「終活年賀状」とも言われる。「縁切り状」のように受け止める人もいるが、決してそうではないようだ。

 塚崎さんに「年賀状断ち」を勧めた経済コラムニストの大江英樹さん(67)は、
「夏目漱石の『吾輩はである』の一節に、『義理をかく、人情をかく、恥をかく。これで三角になるそうだ』というのがあります。世間はこの三角で対応すべきだと。私は、人情は欠かなくて良いと思いますが、定年後のライフスタイルとして実践すべきは、義理かく、恥かく、見え欠く。この三つだと思っています」

 と話す。現役時代に、年賀状を600枚ほど書いていた。大半が過去の仕事仲間とのやりとりだったが、お金と時間の無駄と気づいた。

「昔の仲間というのは知人であって、友人ではない。退職したら友人は大切にすべきですが、『知人』はそんなに多くなくてよいと思いました」

 そこで年賀状をやめたが、あるとき、年賀状を送ってくれる人と話す機会があり、「せっかく送ってくれているのに申し訳ないね」と話した。すると、「え、そうだっけ」と返ってきた。

「人は自分が思うほど自分のことを見ていないものだと気づきました」

 だからこそ、そんな無駄な義理(年賀状)をやめるべきなのだという。同様に結婚式への参列も還暦を機にやめた。しかし人生の卒業式である「葬式」には参列する。

「友達を断捨離する、と勢い込んでやらなくても、縁のない人というのはだんだん減ってくるもの。一方、不義理をしていても縁がある人はつながっていられます」

 還暦を過ぎたら自由になって、好きな人と付き合い、大事な友人と楽しい時間を過ごす。そういう人間関係を大切にしつつ、自分の居場所を模索しながら、人生の設計図を自身で描くのが良さそうだ。家族や友人に依存するのではなく「自立」をした上での人付き合いを楽しみたい。

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