カネコさんは、こちらが申し訳なくなるぐらい何度も何度も頭を下げると、バイクで走り去っていった。

 しかし、大センセイはとてもがっかりしてしまったのだ。カネコさんにではない。新聞に、である。

 五月一日、令和の始まりの日。ほとんどのテレビ局が、慶祝一色の報道をしていた。それはとても息苦しく、とても気味の悪い現象であった。大センセイ、ああいう世の中全体が右向け右の号令に従っているような空気が、どうにもこうにも我慢できない。

 ポストに、契約したばかりの新聞が届いた。目を皿にして、隅から隅まで読んだ。だが、元号や天皇制の是非を真正面から論じた記事は一本もなかった。

 ところが翌日以降、天皇の戦争責任がどうとか国民主権がどうとかいう記事がゾロゾロと出てきたんである。五月一日の“その日”には慶祝ムードに同調しておいて、後でこういう記事を載せるのはズルいんじゃないの? 記事は書くべき秋(とき)に書かなければ何の意味もない。

 なぜ、世間と一体であるフリをするのか。なぜ、切れば血が出るような本物の原稿を書こうとしないのか。これがインテリの限界だとしたら、彼らはあの三人組の拡張員やカネコさんに、顔向けできるんだろうか?

 大センセイ、新聞を閉じ、ひと匙のココアを啜りながらトンコすることに決めた。トンコは辛いからするばっかりじゃない。心の晴らしようがないとき、するんだ。

 本連載はこれにて打ち止めである。サラバ、皆の衆!

週刊朝日  2019年8月9日号

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山田清機

山田清機

山田清機(やまだ・せいき)/ノンフィクション作家。1963年生まれ。早稲田大学卒業。鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』(第13回新潮ドキュメント賞候補)、『東京湾岸畸人伝』。SNSでは「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれている

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