ところが、戦後に周辺諸国に対して誠実に謝罪せず、賠償責任を積極的に正しく果たそうとしてこなかった日本人は、「金を払えばいいのか?」という程度のレベルの低い認識しかなく、戦時中の行為を心から反省もしていない。特にテレビ報道界は、何か言われるとすぐに開き直って「それは反日だ」というキャンペーンを続けてきた。これからアジアの外国人労働者を数多く受け入れようとしているのが日本であるならば、「いつまでも人権を無視して、恥ずかしくないのか?」と尋ねたくなる。

 だがしかし、日本人の中に、韓国や北朝鮮が嫌いな「嫌韓」人間がいることを問題にする前に、戦後にどのようにして韓国と北朝鮮という国家が生まれ、なぜ同じ朝鮮民族が南北に分断されて戦争させられたかという歴史を日本人が知らないことに、親しくすべき隣国・韓国と北朝鮮との感情の行き違いがあるのだ。

 問題は、朴正熙大統領が日本の植民地統治時代に「日本の軍人になろう」と志して、満州で軍官学校に自ら志願して入学した人間だったことにある。卒業後の彼は、大日本帝国の陸軍士官学校に留学して、満州軍の副官という肩書きで“日本軍人・高木正雄という日本人名に改名”し、大日本帝国のアジア侵略を正しいと教える悪しき日本式の軍人教育を受けた人物であった。

 朴正熙は、こうして出世街道を直進し、朝鮮人から見れば売国奴の日本軍人だったので、1945年8月15日に日本が降伏した時、朝鮮人が解放されるという災難に見舞われてしまった。そこで戦後は、自分の過去を隠して寝返り、軍事クーデターを起こして1963年に大統領となった“親日派”であったのだ。彼の娘が2013年に大統領となった朴槿恵(パク・クネ)であった。

 かような戦時中の売国奴であれば、「個人に対する賠償を日本に請求する権利など認める必要はない」という日韓条約を結んだ経過は、必然と言えば必然の結果である。

 では責任者は誰なのか。

 どうしてこのような戦後の韓国史が生まれたかと言えば、1945年に米軍が南朝鮮に進駐して以来、北朝鮮に進駐した共産主義国家・ソ連とのイデオロギーの対立から冷戦が始まり、その時アメリカ軍政がアジアでの共産主義撲滅のために“親日派”を採用して韓国という国家を創ったからなのである。

 したがって、発足した韓国の情報機関が国家保安法のもとで大日本帝国の特高警察から拷問技術を受け継ぎ、また一方で、賠償を受けるべき強制連行被害者が切り捨てられてきたのは、すべて東西冷戦による南北対立から始まった朝鮮戦争と表裏一体になった出来事であったのだ。

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平和統一の足を引っ張る日本の全テレビ報道界