“日本語が外国語”の人が日常を生きる大変さ 温又柔の新エッセイ (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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“日本語が外国語”の人が日常を生きる大変さ 温又柔の新エッセイ

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仲宇佐ゆり週刊朝日
温 又柔(おん・ゆうじゅう)/1980年、台北市生まれ。小説家。3歳から東京在住。法政大学大学院・国際文化専攻修士課程修了。『台湾生まれ日本語育ち』で2016年に日本エッセイスト・クラブ賞。著書に『真ん中の子どもたち』『空港時光』など。 (撮影/写真部・片山菜緖子)

温 又柔(おん・ゆうじゅう)/1980年、台北市生まれ。小説家。3歳から東京在住。法政大学大学院・国際文化専攻修士課程修了。『台湾生まれ日本語育ち』で2016年に日本エッセイスト・クラブ賞。著書に『真ん中の子どもたち』『空港時光』など。 (撮影/写真部・片山菜緖子)

 台湾に生まれ、3歳から日本で育った温又柔さんが、日本語と出会って作家になるまでを若い人に向けて綴ったエッセイが『「国語」から旅立って』(新曜社、1300円※税抜)だ。

 温さんの10代は、台湾人なのに中国語が得意ではないことに葛藤し始めた時期だった。3年前に日本エッセイスト・クラブ賞に輝いた前作のエッセイ『台湾生まれ 日本語育ち』を出したとき、外国にルーツのある人たちから、「10代で読んでいたら、もっと楽だったのに」と言われた。

「かつての自分も台湾語を話す母に複雑な思いを抱いていた。『ママの言葉、いいじゃない』と言ってくれる大人に会いたかった。エッセイも小説も迷っていた自分に届けたい気持ちが強くて、10代の自分に宛てるつもりで言葉を紡いでいます」

 今回のエッセイでも、小学校で初めて文字を覚えた場面が何とも瑞々しい。

「書くとは、自分の声を、自分の字で射とめるという行為だったのです」

 と喜びを表現している。

 10歳のときには「わたしの字でいっぱいにしてみたい」と胸を弾ませてノートを購入し、現在まで日記をつけ続けている。少ない日で1ページ、落ち込んだり、腹が立ったりした日は5ページ。心が波立つと言葉にして自分をなだめてきた。

 ただ、数カ月間、日記が書けなくなった時期がある。大学生のとき上海に留学して中国語を学んだが、思い通りの成果が得られなかった。台湾人なのに中国語がうまく書けない自分が、日本人ではないのに日本語におぼれていていいのか……。

 解き放たれるきっかけは、大学院でリービ英雄さんのゼミをとったことだった。米国生まれのリービさんは外交官の父親のもと、台湾、香港、日本で育ち、日本語で小説を書いている。

「リービさんのような複雑なルーツの方が、台湾、中国のことを含めて日本語の作品を書いている。その凛々しさに焦がれて、私も非日本語的な要素を日本語で書いちゃっていいんだ、と思いました。多和田葉子さんもドイツ語と日本語の輪郭を疑うような表現をしている。心に響きました」


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