【1988.4.11】「伝説」を不動のものにした「不死鳥コンサート」。前年の大腿骨骨頭壊死と肝臓病から1年をへて、完成したばかりの東京ドームで5万人のファンを集めて39曲を熱唱した (c)朝日新聞社
【1988.4.11】「伝説」を不動のものにした「不死鳥コンサート」。前年の大腿骨骨頭壊死と肝臓病から1年をへて、完成したばかりの東京ドームで5万人のファンを集めて39曲を熱唱した (c)朝日新聞社

 平成元年6月24日、「昭和の歌姫」は永遠の眠りについた。時代が「令和」へと移った今も、美空ひばりの楽曲は売れ続けている。まさに「不死鳥」。衰えぬ人気の秘密はどこにあるのか──。

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「スターぶらないのにスターでした」と語るのは、30年近く付き人を務めた関口範子さん。著書『美空ひばり恋し~お嬢さんと私』では、「そんなお嬢さんの飾らない“素の姿”を伝えたかった」と話す。

 ファンとの関係も非常に近い。後援会の会員と身近で接するため、公演のたびに2人の会員に「お手伝い」をお願いしたという。関口さんもその一人だった。

「ドライヤーの当て方で叱られたりしましたが、私たちスタッフには洋服をプレゼントしてくれたり、お食事に連れていってくれたり、常に気にかけてくれました」

 東京ドームの「不死鳥コンサート」では元気にステージを走り回ったが、フィナーレでスモークの中に消えたあと、「客席から見えなくなった瞬間、抱きかかえられて楽屋に下がった。決して弱みを見せない人でした」(関口さん)。

 没後30年の今も後援会は積極的に活動している。まさに「伝説は終わらない」のだ。

週刊朝日  2019年6月28日号