器用に何でも描いて名をはせたが、「足る」ことを知らなかった。絵描きは名前が大切で、一度売れた名を普通は変えない。春朗、北斎など生涯で数回も変えた姿は、「異常だ」(内藤教授)。名声への安住を嫌ったのか、貪欲さを忘れず画境を刷新し続けた。「常に満足せず、誰の追随も許さない人となった」(五味学芸員)

【4】旺盛なサービス精神
 一般大衆向けの浮世絵でも、特定の人から依頼された刷物でも、随所に創意工夫をこらした。狩野派のような御用絵師と違い、浮世絵師は地位も財力もなく、人気だけが命綱。内藤教授は「一方通行でなく、絶えず考えて作品にした」と評する。こうしたサービス精神の旺盛さも特徴的だ。

【5】物欲と無縁な質素ぶり
 普段はぼろを身にまとい、お金への関心が薄かったようだ。五味学芸員によると、画料は一切勘定せず、包みのまま玄関先に置いておく。集金に来た用聞きに、画料の包みのまま持っていかせたという。

「火事と喧嘩は江戸の華」と言われた時代。成城大学非常勤講師の小沢詠美子さんは「江戸の人は、あきらめを知っていた」と話す。庶民は荷物も少なく引っ越しが多かったようで、北斎は生涯で93回も引っ越したとされる。

【6】義理人情と面倒見のよさ
 親しい歌舞伎役者の公演を見に行くため、当時の生活に欠かせぬ蚊帳を売ってお金を作り、役者に祝儀まで渡した。そんなエピソードが伝わる。

 人から恨まれることなく、だれかに頼まれると絵を描いて世話したようだ。面倒見のよさからか、描きたいという人をみな弟子にした。孫弟子まで含めると、200人ほどもいた。

 北斎の死亡時は、身分が上の武士も野辺送りに訪れたという。「偏屈かもしれないが、素晴らしい人間性だった」(五味学芸員)

【7】そば好きと健脚
 どんな食生活を送っていたかは、よくわかっていない。煮売りをする酒店の隣に住んだ時は、3食とも取り寄せた。寝る前にそばを2杯食べていた、との話も残る。当時は「江戸患い」といわれたビタミンB1不足による脚気が多かったが、そばはビタミンB1を多く含む健康食品だ。

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