帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など多数の著書がある
帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など多数の著書がある
帯津さんの著書「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)も発売中
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 西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「老化とは」。

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【ポイント】
(1)人生の後半にいかに老化と付き合うか
(2)老化はこわいものではなく優しいもの
(3)守りでなく攻めてこそナイスになる

 江戸時代に83歳まで生きた貝原益軒は、「人生の幸せは後半にあり」という考えの持ち主でした。著書『養生訓』のなかでも、「人は50歳にならないと後悔することも多く、人生の道理も楽しみもわからない」(巻第一の19)と述べています。

 いや、私も80歳を超えましたが、まったく同意見ですね。人生が円熟期を迎えるのは50歳を過ぎてからではないでしょうか。人生100年時代を迎えているとすれば、まさに50歳からの後半が実りを収穫する時期なのです。

 ただ、この後半は老化がひたひたと忍び寄ってくる時期でもあります。この老化といかに付き合うかが、「人生の幸せは後半にあり」と言い切れるかどうかの分かれ目になります。

 私が「ひたひた」という言葉で連想するのが、臨済宗の中興の祖、白隠禅師が描いた布袋姿の「すたすた坊主」です。このすたすた坊主は白隠が自分の分身として描いたとも言われています。

 腹がぷっくりと膨れたすたすた坊主。体形が似ているからというのではないのですが(笑)、以前から親しみを感じていました。右手に菜っ葉のようなものを掲げ、左手には酒桶のようなものを提げて、すたすた、すたすた。

 皆さんは老化についてどんなイメージをお持ちですか。私は「ひたひた」ではなく「すたすた」とやってくるこのすたすた坊主こそ、老化の化身ではないかと思っているのです(私のこれからの姿ということでしょうか)。

 すたすた坊主は決してこわい存在ではありません。むしろ、全身にそこはかとない優しさがただよっています。

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帯津良一

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帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中

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