超有能な彼らはなぜ麻原彰晃の元に集まったのか? <教団エリートの「罪と罰」(1)> (2/4) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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超有能な彼らはなぜ麻原彰晃の元に集まったのか? <教団エリートの「罪と罰」(1)>

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細菌兵器研究した麻原四女の“許嫁”遠藤誠一死刑囚 (c)朝日新聞社

細菌兵器研究した麻原四女の“許嫁”遠藤誠一死刑囚 (c)朝日新聞社

裏を仕切った「側近中の側近」井上嘉浩死刑囚 (c)朝日新聞

裏を仕切った「側近中の側近」井上嘉浩死刑囚 (c)朝日新聞

 当時の部員によれば、コーチとしても上司としても「とても怖くて厳しい人」だったが、部員と2人きりの場面では「なのよ~」「だわ」と女性言葉を使っていたという。この部員は、東京国際女子マラソンにも出場したが途中棄権。遠藤は、「尊師から頼まれた仕事で初めての失敗だ。悔しい」

 と落ち込んでいたという。

 一方、“許嫁”だった四女は、遠藤を「とても子どもっぽい人だった」と振り返っている。一緒にトランプをすると、勝つまでやめないところがあったという。

 第2厚生省の大臣だった土谷正実死刑囚とはライバル関係にあり、麻原への帰依を競うように化学兵器や薬物を次々と生み出していった。遺伝子工学を専攻していた遠藤は細菌兵器の研究に力を入れ、土谷はサリン、VXなどの化学兵器を研究対象にしていた。

 競わせることが教団の利益になると思ったのか、麻原はそれぞれの研究棟を隣接して建設。先を急がせるように、成果を求めた。

 地下鉄サリン事件後は、逃走資金を受け取って九州地方に逃走。温泉地などで豪華な宴会を繰り広げていたというが、山梨県上九一色村(現・富士河口湖町)の教団施設に戻り、95年4月26日、秘密地下室に潜んでいたところを逮捕された。「ライバル」の土谷と一緒だった。

 裁判当初は、「包み隠さず、すべてをあらわにしたい」と語っていたが、ほかの被告が都合の悪い証言をすると「作り話だ」などと言い立て、「サリンで人は死なないと思っていた」などと自己弁護に終始した。

 拘置所から四女に送った手紙には、こう綴っている。「あなたを守ってあげられるのは尊師と私しかいません(中略)。今生の今後も、そして来世も、私をずっと愛し続けてください」

 判決は一、二審ともに死刑で、2011年11月に上告が棄却された。


■裏を仕切った「側近中の側近」
<井上嘉浩(いのうえ・よしひろ)>

(1)生年月日:1969年12月28日
(2)最終学歴:日本文化大中退
(3)ホーリーネーム:アーナンダ
(4)役職:謀報省大臣
(5)地下鉄サリン事件前の階級(ステージ):正悟師


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