死ぬはずだった病気が死ななくなったときの「幸せの条件」 感染症医が語る死生観 (1/4) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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死ぬはずだった病気が死ななくなったときの「幸せの条件」 感染症医が語る死生観

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梶葉子週刊朝日#ヘルス

青木眞医師(感染症コンサルタント)

青木眞医師(感染症コンサルタント)

 命を救うのが医師の仕事である一方で、「命の終わり」を提示するのも医師の務め――。救急や外科手術、がんやホスピスなど死に直面することが避けられない現場で日々診療を行っている医師20人に、医療ジャーナリストの梶葉子がインタビューした『医者の死生観 名医が語る「いのち」の終わり』(朝日新聞出版)。その中から、HIVの診療に従事してきた感染症コンサルタントの青木眞医師の「死生観」を紹介する。

*  *  *
 現在の仕事は外来診療と講演、それに若い先生方への症例検討会などの教育、それぞれが3分の1くらいずつという感じです。

 毎年暮れに僕の家で開く忘年会には、研修医から各分野の一流の臨床医まで、100人以上集まるんですよ。北海道や奄美大島や、本当に全国各地から。長年、あちこちで教えて回っているので、彼らは言わば、みんな僕の手下たち(笑)。集まって、そこからまた新しいネットワークができ、勉強会なども立ち上がる。講演やセミナーも、次世代の手下たちに講師をしてもらうんです。だから、ある日僕がコロッと逝っても、次の人たちがちゃんとそろっている。それだけは自慢できますね。

 アメリカで感染症内科専門医の資格を取って1992年に帰国し、その後、10年近く病院に勤務しました。当時診ていたのは主に薬害エイズの患者さんで、東北や北陸などの各県に毎月出掛けて行き、その地域の患者さんを診るという、いわゆる「プロの感染症屋」としての仕事です。でも僕は、日本の病院や医学界に存在する、学閥など診療以外の諸々に、どうしてもフィットしきれなかった。つらくて、もう日本ではやっていけない、アメリカに戻ろうか、と思っていた時、縁あってサクラグローバルホールディング株式会社の松本謙一会長に出会い、支援を受けてフリーになったんです。それがなければ今頃、ケンタッキーの田舎町で開業してたかもしれない。

■生命予後の良さと人生のハピネスは、乖離している

 エイズウィルスは、ちょうど僕がアメリカに渡った80年代半ばに発見されたんです。最初の頃は、エイズと診断がついて2年ほどで本当にみんな、どんどん亡くなっていきました。


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