久米宏が明かした「ベストテンの司会を辞めた本当の理由」 (2/5) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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久米宏が明かした「ベストテンの司会を辞めた本当の理由」

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沖田十二週刊朝日
久米宏(くめ・ひろし)/1944年、埼玉県生まれ。67年にTBS入社。78年から85年まで「ザ・ベストテン」の司会。79年からはフリーになり、85年から18年半「ニュースステーション」の司会を務めた。近著に『久米宏です。 ニュースステーションはザ・ベストテンだった』がある

久米宏(くめ・ひろし)/1944年、埼玉県生まれ。67年にTBS入社。78年から85年まで「ザ・ベストテン」の司会。79年からはフリーになり、85年から18年半「ニュースステーション」の司会を務めた。近著に『久米宏です。 ニュースステーションはザ・ベストテンだった』がある

――久米さんと黒柳さんの丁々発止のマシンガントークのあと、歌が始まるという印象が強く残っています。

そういう形は徐々にできていったものです。10位から発表していくんですが、8位のあたりまで、先のことを心配していないから、トークで遊んじゃうんですよ。5位を過ぎたあたりで時間がないことに気づく。至上命令として、1位は絶対に放送しなくてはいけない。上位になればなるほど歌のセットにも凝るし、インタビューの仕掛けにも、ある程度時間が必要になってくる。その時間の余裕を、5位くらいで使い果たしているんです。人間って学ばないもので、何回やってもそうなるんです(笑)。1位の歌まで18秒しかないとか、最後の記念撮影に最低5秒は必要だとかになって、黒柳さんを叩いたり抑え込んだりして黙らせる(笑)。時間との戦いで、どんどん早口になっていきました。

――本番前に、話す内容などは考えていましたか?

事前に決まっていることはいくつかありました。例えば、前週から急上昇して2位にランクインした場合とか、落ちて3位になったときとか、どうしてもしなければいけない話があるし、歌手の誕生日だとか、絶対外せない事案もあるわけです。だけど、新幹線の移動中に歌うといったハプニング的な中継もあれば、面白いシーンは引き延ばしたくもなる。街角に信じられないくらいの群衆が集まっていたら、この映像を少しでも長く見てもらいたいって気持ちが生まれる。だから、後のことは考えないようにしよう、というのが2人にはありました。そういうサービス精神は忘れないようにしようと心がけていました。

――久米さんがいちばん困ったことは?

僕と黒柳さんで歌手のバックダンサーを務めたことですね。ちゃんとした振付師がいて、2週間ほど練習したんです。僕は、「番組を進行するだけで精いっぱいだから、踊りは勘弁してくれ」って言ったんですけど、演出家がどうしてもって。あれは本当に大変だった。本番では肝心なところで、黒柳さんがミスって大笑いになったんです。ミスするなら僕だと思っていたのに。僕も黒柳さんも演出家も、忘れたい出来事だと思いますね(笑)。

――司会者として失敗した、という出来事は?


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