野球殿堂入りしたときの上田利治さん=2003年(c)朝日新聞社
野球殿堂入りしたときの上田利治さん=2003年(c)朝日新聞社

 プロ野球の阪急、オリックス日本ハムで通算20年監督を務め、歴代7位の1322勝を挙げた上田利治さん(享年80)の告別式が7月6日、横浜市の斎場で行われた。約250人が参列し、1日に肺炎で亡くなった故人を悼んだ。

 阪急監督2年目からの日本シリーズ3連覇に貢献した山口高志さんは「指導者としては負けず嫌いで、勝つことに執念を燃やしていた」と振り返った。4連覇を狙った1978年の日本シリーズで、1時間19分もの中断を招いた猛抗議も勝利への執念からだった。

 記者は99年、監督生活ラストイヤーを朝日新聞の日本ハム担当として取材した。

 新任のあいさつをしたとき、先輩の元担当記者の名前を挙げて、「元気でやってますか」と聞かれた。所属と名前をすぐ覚えてくれて、気配りができる人柄だった。

 沖縄・名護のキャンプでは早朝の散歩に担当記者がついていく。少し前かがみに足早に歩きながら、どんな質問にも丁寧に答えてくれた。野球以外もニュースや読書など話題が豊富で話を聞くのが楽しかった。

 公式戦では3年目の小笠原道大を捕手から一塁手にコンバート。「バントをしない2番」の起用について聞くと、「打撃のいい打者が入れば2番にバントは必要ない。小笠原は自分でチャンスをつくれる。走者をかえす勝負強さもある」と明快だった。水泳専門で野球を勉強中だった記者にとって、一流の勝負師の「講義」を聴けるぜいたくな時間だった。

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