廃虚ではなく、れっきとした“現役”の寺だ
廃虚ではなく、れっきとした“現役”の寺だ

「坊主丸もうけ」も今は昔。住職が副業に走るのは当たり前のようだ。カウンターに立つ「坊主バー」、寺の本堂でライブをする「DJ坊主」。このほか、本堂で汗を流す「寺ヨガ」、テクノ音楽に乗ってお経を唱える「テクノ法要」などなど、静寂なイメージとは異なったことに挑戦する寺が増えている。本業に精を出せ、と冷やかしの声が聞こえないわけではないが、普段寺に足を運ばない人々に関心を持たせる機会だと、前向きにとらえる姿勢は評価に値するだろう。だが、のっぴきならない“お坊さん事情”もあるようで……。

 都心から車で走ること3時間。街並みは消え、田園風景も抜けて、うねる山道をひたすら登っていく。ガードレールもない細い崖道を入り、山奥へさらに進むとその寺はある。山間にひっそりある集落で、緑生い茂る山の斜面に沿って木造家屋が点在している。小さな畑の脇、老婆がてんびん棒を肩に担いで農作物を運び、時間の流れをどこかへ落としてきてしまったかのような錯覚さえある。世帯数は20弱で若者はいない。関東地方の典型的な過疎地域だが、日蓮宗のその寺はそこにある家々の檀那寺(だんなでら)だ。

 寺は一般的に思い浮かべるような寺院然とはしておらず、一般住宅と言われても納得してしまいそうな平屋建て。屋根の塗装はところどころはげ、前庭に並ぶ墓石は伸びきった雑草に囲まれ、こけむし、傾いているものもあり、手入れがされている様子はない。

 どう見ても裕福な寺には見えないが、経済事情はどうなっているのか。住職に話を聞こうとしたが、昼間だというのに不在。隣に住む女性が教えてくれた。

「この時間は働きに出ているので、誰もいませんよ」

 どういうことなのか。時間を空け、在宅時に改めて話を聞くと、住職は力ない声で答えた。

「週に5日、外でアルバイトをしているんです。お寺とは何も関係のない仕事です。お寺の収入? ないに等しいですよ。お寺だけじゃ食っていけない」

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