■慶應義塾大 清家篤塾長


『文明論之概略』(福沢諭吉、慶應義塾大学出版会など)

 私が薦めたいのは、福沢諭吉の『文明論之概略』です。塾長だからこの本を薦めているわけではなく、今日に通じる意味を持つ本だからです。

 慶應大の大学院の恩師の一人、小尾恵一郎先生から薦められたのが出会いでした。説教くさい本なら読むのをすぐにやめようと思いましたが、読み始めたらひきつけられました。

 最も感銘を受けたのは、第6章「智徳の弁」ですね。福沢はこの本で、あらゆるものは「軽重大小」のある相対的なもので、その中で「重大」を先に、「軽小」をあとにする「公智」が大切だと言っています。

 福沢にはこんなエピソードがあります。慶応4年5月15日、戊辰戦争のときです。上野で官軍と彰義隊との戦闘があり、「内戦になる」と江戸中の人が避難を始めました。義塾は当時、芝新銭座(今の東京都港区浜松町)にありましたが、福沢は「ここまで弾は届かない」「こんなときは慌てずに勉強するのがよい」と言い、塾生を落ち着かせ、ウェーランドの経済書の講義を続けました。

「戦争だ」「倒幕だ」などと周囲が騒ぐなか、「来たる新しい世の中に貢献できるよう、今は勉強することが大事だ」と冷静に判断しました。これはまさに、公智だと思います。

 公智の基本にあるのが、学問です。自分で考えることは重要ですが、やみくもに考えるのではなく、系統的に思考する学問の方法論が大切です。まず問題を見つけ、それを説明しうる論理的な仮説を組み立てる。仮説が正しいかどうかを検証し、間違っていれば修正する。その繰り返しです。

 この考え方はさまざまな生活の場面で役に立ちます。

 例えば、慶應義塾の体育会でも同じ考え方をしています。次の早慶戦にどうしたら勝てるかという課題があり、個人として自分はどんな技を磨いたらよいのか、チームとしてどんな戦術をとったらよいのか、仮説をつくります。そして、どれが一番効果的なのかを日々の練習で検証し、勝利に結びつけています。

 東京海上日動火災保険会長の永野毅さんやローソン会長の玉塚元一さんら、体育会出身のOBがビジネスの世界で数多く活躍しています。公智を働かせる力を、スポーツを通じて養ったからだと思います。

 ものを考える出発点は、好奇心です。

 何にでも疑問を持ち、自分の頭で考える力を養いたい学生に来てもらいたいと思います。そして、公智をもった社会人になることを期待しています。

週刊朝日 2017年3月3日号