昭和21年10月創刊の「猟奇」は、巻頭の言として「読者諸賢が、平和国家建設の為に心身共に、疲れきった、午睡の一刻に、興味本位に読捨て下されば幸です」(原文ママ)と書いたうえで、「人間の真の姿の探求精神の復興に貢献するものである」と宣言した。堂々たるものである。

 だが、この年の12月発行の第2号は、公然わいせつ罪で戦後初の発禁処分となる。摘発の原因とされる「H大佐夫人」では、戦時中にH大佐宅に下宿した青年と大佐夫人が姦通するシーンが生々しく描写されていた。

 カストリ雑誌の範疇に入れていいのかは難しいが、性生活にまじめに向き合った専門誌「夫婦生活」もあった。昭和24年5月創刊。発行元は、同誌をつくるために設立されたという夫婦生活社だ。執筆陣には、権威のある大学教授や研究者、作家らをそろえた。発行部数は35万部。著書に『戦後「性」の日本史』などがあるライターの伊藤裕作さん(66)によると、肉体の構造や性の知識、性愛技術のノウハウなど実践的な内容だったという。

「多くの人が強い関心を持つセックスについて、当時はまともに読める文章は少なく、信頼できる情報も乏しかった」(伊藤さん)

 この「夫婦生活」は昭和24年6月号で「良人を満足させる妻の性愛技巧」という記事を載せた。書いたのは作家・丸木砂土。興行師でもあり、翻訳家でもあり、演出家でもあった故・秦豊吉が、肉体的快楽を追究したフランスの小説家マルキ・ド・サドの名をもじったペンネームである。

 冒頭で「夫を愛し、夫を誘惑し、夫を刺戟(しげき)する妻の技巧が、夜のみにあると思つたら、大間違いです」と書き、どうすれば夫が満足するかを詳細に説明している。さらには「大いに喜び、大いに楽しんでいる、という風に見せて下さい」とし、「男はばかですから、どんな夫でも得意になって、自分の妻に対するサービスが、いつも成功である、自分はこの道の達人である、という風に得意になるものであります」と結んでいる。

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