大衆向けに乱発されたカストリ雑誌の一例 (c)朝日新聞社
大衆向けに乱発されたカストリ雑誌の一例 (c)朝日新聞社

 社会風俗・民俗、放浪芸に造詣が深い、朝日新聞編集委員の小泉信一氏が、正統な歴史書に出てこない昭和史を大衆の視点からひもとく。今回は「カストリ雑誌」。

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 戦時中の抑圧されたエネルギーがマグマのように一気に噴き出したのだろう。戦後の出版自由化の流れの中で、雨後の竹の子のように次々と出版されたのが「カストリ雑誌」だった。

 ありていにいえば、エロやグロを売りものにした雑誌である。表紙には官能的な女性の絵。ページを開くと、ポルノ小説や性的興奮をあおる記事、赤裸々な性生活の告白や猟奇的な事件のルポなどが載っていた。

 連合国軍総司令部(GHQ)による検閲をかいくぐり、当時人気だったストリップショーとともに、人々の荒(すさ)んだ心を癒やしたのは間違いないだろう。それにしても、なぜ「カストリ雑誌」というのか。

 一説には、1号(合)、2号(合)、3号(合)……と、そのくらいまでは大丈夫だが、それ以降は酔いつぶれるという粗悪な「カストリ(粕取り)焼酎」に由来するといわれている。「紙のカス」で作る仙花紙で製本されたため、という説もある。どちらの説も、本当に思えてくる。

 戦後の風俗史の中では、ときに「俗悪」の代名詞として位置づけられるカストリ雑誌。先駆けとなったのは、昭和21(1946)年1月創刊の月刊誌「りべらる」といわれている。これがなんと20万部を売った。

「カストリという言葉は、騒然とし、猥雑だった戦後の世相そのものを象徴していた。私たちはカストリ焼酎を飲みながらカストリ文化を熱く語っていた」

 東京・吉原の色街で半世紀以上暮らしていた風俗ライター吉村平吉さん(2005年、84歳で死去)は、かつて私にそう語っていた。

 戦後の活字文化の中で開花したカストリ雑誌。誌名をあげるだけで時代が透けて見えるようでもある。

「美貌」「犯罪読物」「奇譚」「事実小説」「実話ロマンス」「犯罪雑誌」「近代読物」「大衆クラブ」「面白講談」「娯楽小説」「ロマン春秋」「赤と黒」……。歴史は夜つくられる。世俗にどっぷりつかっていたからこそ見えるものもあったのだろう。夜の女や街娼も登場した。戦争で家も肉親も亡くし、やむなく街頭に立った、いわゆるパンパンである。彼女たちの生活に迫った生々しいルポルタージュは読者の関心を呼んだ。単なるエロ雑誌ではなく、社会的な問題を鋭く追究した硬派な側面もあったのである。

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