日銀が推し進める「質的量的緩和」政策が長期化している。“伝説のディーラー”と呼ばれた藤巻健史氏は、デフレという名の「ジリ貧」から脱却しようとするこの政策に苦言を呈する。

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 臨時国会が9月26日に始まった。参議院本会議での下請け対策に関する質問で、世耕弘成経済産業大臣の答弁に思わず噴き出した。「子会社に対するオヤジ業者の」と答えたのだ。

 「それって親業者か親会社の間違いでしょ。がんばれ、オヤジ!」と思わずやじを飛ばしたくなった。ふと、家内アヤコの「やじは品がない」との言葉を思い出し、我慢した。しか~し、大臣は「オヤジ業者」ではなく「親事業者」と言ったと後で知った。良かった~、変なやじ飛ばさなくて。アヤコに助けられた。

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 阿川弘之氏の『米内光政』(新潮社)によると、第2次世界大戦開戦時、「進むも亡国、退くも亡国なら、死中に活を求めるべきだ」と主張し始めた陸海軍の作戦部に対し、昭和天皇は「それではヤケッパチということか」とたしなめられたそうだ。第37代内閣総理大臣を務めた米内光政も参内した時、「俗な表現を用いて恐れ入りますが、いわゆるジリ貧を避けようとしてドカ貧にならぬようご注意願いたいと存じます」と言上したという。

 米内はさらに「インフレーションの惨害は自分がこの前の欧州大戦後にドイツにいて、まざまざと見てよく知っている。悪性インフレだけはどんなことがあっても避けなければならない」とも述べたそうだ。

 時間がなく中途半端に終わって残念だったが、私は10月6日の参議院予算委員会の質疑に立った。米内光政の「ジリ貧を避けようとしてドカ貧」の言葉を借用し、異次元の質的量的緩和の継続は「デフレ(=ジリ貧)から脱却しようとしてハイパーインフレ(ドカ貧)になるリスクはないのか」について質問した。

 金融史が専門のファーガソン・ハーバード大学教授は「1950~80年は中銀の肥大化がインフレと深く関わっていた。1900年以降、主な中銀の資産規模はGDP(国内総生産)のほぼ10~20%だった」と警告している。

 
 現在の日銀は、何と90%。98年当時の15%から急増している。9月の金融政策決定会合で、異次元の量的緩和の長期化を決めたから、この数字はもっと巨大化する。ファーガソン教授の警告が杞憂に終わるのかは、歴史が証明することになる。

 2003年、当時の日銀の審議委員だった植田和男氏(現東大大学院経済学研究科教授)が、日本金融学会で記念講演した。ゼロ金利や量的緩和を導入した当時の日銀で、植田先生はその理論的支柱だった。

 「日銀が量的緩和を続けていくと、中央銀行に対する信認の低下につながるリスクがあるという説と、このことによりデフレが克服されれば出口で会計上債務超過に陥っても、一時点での債務超過自体大した問題ではないという説がある。こうした相対立する見方はどちらが正しいのだろうか」と提起し、講演された。

 その上で「ここからの国債購入がきわめて大規模になった場合には、以上で議論したリスク(筆者注:たとえば国債売却で実現損が発生して日銀のバランスシートが毀損すること)が顕現化する可能性は高くなる」と心配されていた。

 日銀の長期国債保有額は当時64兆円だったが、今は340兆円。当時の5倍だ。植田先生がお話しされた「きわめて大規模」に相当すると思う。当時の警告が杞憂に終わるのかも歴史が証明することになる。

週刊朝日  2016年10月28日号

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藤巻健史

藤巻健史

藤巻健史(ふじまき・たけし)/1950年、東京都生まれ。モルガン銀行東京支店長などを務めた。主な著書に「吹けば飛ぶよな日本経済」(朝日新聞出版)、新著「日銀破綻」(幻冬舎)も発売中

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