1968年当時のピンキーとキラーズ(中央が今陽子) (c)朝日新聞社
1968年当時のピンキーとキラーズ(中央が今陽子) (c)朝日新聞社

 昭和にはいつも“歌”があった。1950年、60年代のシングル年間チャートとレコード大賞を参考に、日本が生み出したオリジナル歌謡曲を振り返る。

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「1950年代は日本のオリジナル歌謡曲の草創期」と話すのは音楽評論家の田家秀樹さんだ。戦後、進駐軍が日本の伝統的な浪曲などを禁じて“明るい歌”が増えたのだ。

 御三家で知られる橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦も60年代前半のデビューだ。西郷の付き人だったサンミュージック副社長の西潟昌平さんが当時を振り返る。

「青春歌謡ブームは凄まじく、日本中が熱狂した。西郷のスケジュールがあまりに過密なので、彼の家に住み込んで身の回りの世話をしたほどです」

 高度成長とともに音楽は盛り上がり、66年夏にはビートルズが来日、GSブームが広まった。
 
 オリコンのシングルランキングが誕生した68年、1位となったのは男女の別れを千昌夫が歌った「星影のワルツ」。2位は、関西の大学生だった加藤和彦、北山修を中心としたザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」だ。

「“フォークル”が2位になったのは革命的出来事だ」と田家さんは言う。

「学生が遊びで作ったアルバムに回転数をかえて録った『帰って来た~』が入っていた。それがラジオの深夜放送で流れて受験生の間で話題になったのです」(田家さん)

 テレビの需要が増えてラジオが衰退した時期、昼間に扱わないような曲を深夜に流して記録的なヒットにつながったのだ。

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