早見優 大学時代、付き合っていた人とは別の男性と写真を撮られ… (2/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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早見優 大学時代、付き合っていた人とは別の男性と写真を撮られ…

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早見優はやみ・ゆう/1966年、日本で生まれ、3歳から14歳までグアム、ハワイで育つ。単身帰国し、サンミュージックからデビュー。「夏色のナンシー」でブレークする。元祖・バイリンギャル

早見優
はやみ・ゆう/1966年、日本で生まれ、3歳から14歳までグアム、ハワイで育つ。単身帰国し、サンミュージックからデビュー。「夏色のナンシー」でブレークする。元祖・バイリンギャル

 私が12歳くらいのとき、秀樹さんが番組の収録のためにハワイにいらっしゃいました。私の友達のお父様がその仕事に携わっていたこともあって、リハーサルを見に行くことができました。秀樹さんがお弁当を食べていたときに、「サイン下さい」とお願いしましたら、すごく快く引き受けてくださって。

 デビュー後、「レッツゴーヤング」で秀樹さんとご一緒させていただいたときにそのことをお話ししたら、「覚えているよ」と。今考えると、絶対覚えてないと思うんですけど、そう言っていただいて嬉しくて。優しくて素敵な方ですよね。今でも「覚えてる」と言って下さるんです(笑)。

 初めてチャートイン、ベスト10入りしたのは、「夏色のナンシー」。5枚目のシングルです。毎回、シングルを出すと地方に行って発表をして、レコードを買って下さった方と握手会・サイン会をするんです。たしか広島だったと思いますが、「夏色のナンシー」で行ったときにはものすごい数の方々と握手やサインをした覚えがあります。それと移動で乗ったタクシーで、ラジオから曲が流れてびっくり。雑誌の取材でも、それまでレギュラーで後ろのモノクロページに載せていただいていたのが、「優ちゃん、今月は巻頭のカラーなんだよ」って。曲がヒットするってこういうことなんだ、と初めて感じました。

 それからは急にものすごく忙しくなりました。毎朝、明るくなる前に家を出て、帰るのは夜の11時か12時。「ああ、きついな」と一回言ったら、社長さんが「ピンクレディーはもっときつかった。睡眠時間は1時間か2時間だったんだ」と。それを聞いて、あまり文句は言えないなと感じました。でも考えたら、全然別の事務所なのに、なんで知ってるんでしょうね(笑)。

 今では考えられないことですが、地方に行ったときに、ファンの方からホテルの部屋に電話がかかってきたこともあります。たぶんフロントに「早見優さん、お願いします」とかかってきたのを、普通に部屋に取り継いだんだと思います。「もしもし」と電話に出たら、「あ、本物ですか?」と。それでお話をしたことが何回かあります。「もう寝ますので」と言うと「あ、分かりました」「おやすみなさい」って感じで(笑)。


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