1978年のキャンディーズ解散、80年の山口百恵の引退で、心にポッカリと穴が開いた人が多かった。しかし、ファンの傷心は、すぐ癒やされていく。日本中が熱く燃えていた80年代、それは史上最強のアイドル時代でもあった。80年代ブームが再燃するなか、早見優さんに当時の話を聞いた。
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14歳の時に、住んでいたハワイでスカウトされたんです。ハワイのモデルエージェンシーをしている女性の社長に。
そのとき、「実は私、日本に帰って歌を歌いたいんです」という話をしました。
というのも、私は山口百恵さんが大好きだったからです。ものすごく憧れていました。ハワイでも映画が公開されたり、テレビの「赤い」シリーズが放送されていたんです。何かの歌番組が遅れて放送されて、「ロックンロールウィドウ」とか「乙女座宮」とかを歌う様子も見ていました。
社長は「そういうプロダクションの社長と知り合いだから、紹介してあげるよ」と。それで日本でオーディションを受けて、デビューが決まったんです。
スカウトされたのが9月の1週目。11月には日本に住んでいましたので、ほんとにあっという間でした。
日本では叔母のところに世話になりました。母からは毎週手紙が来ましたし、私もホームシックになってハワイに帰りたいという手紙を書いたのをうっすらと覚えています。
日本に戻ってきてすぐはアメリカンスクールに通ったんですけど、翌年4月に堀越高校に入りました。いっこ上に松本伊代ちゃんがいて、同じ年代に松本明子ちゃんと堀ちえみちゃんがいました。
日本の学校に通うのは初めて。授業の運び方や厳しい校則に戸惑いました。あとは女子がお手洗いに1人で行かないで、必ず連れ立って行くのにビックリ。「え、1人で行くの? 一緒に行ってあげるよ」と言われて、「なんで来るの?」と聞いたら、「冷たいんだから」と。なんか面白いなあと思いました。文化の違いを発見できたんです。
デビューは82年4月21日。憧れていた百恵さんは引退されていて、当時は田原俊彦さん、近藤真彦さん、事務所の先輩の松田聖子さんが大スターだったんです。でも私は日本のことをよく知らなかったので……誰なんだろうな? という感じで。その頃の私にとっての大スターは、郷ひろみさんとか西城秀樹さん。ハワイにいたために、時差があったんです(笑)。