式場内には、元気なころの永さんの写真が3枚飾られた (c)朝日新聞社
式場内には、元気なころの永さんの写真が3枚飾られた (c)朝日新聞社

「私が死んだ時は葬儀委員長をやると言っていたのに思惑が外れましたね。長い付き合いだったけれど一度もけんかしたことはなかった──」

 8月30日に東京・青山葬儀所であった永六輔さん(享年83)のお別れ会。永さんと親交が深い黒柳徹子さんが、最初の弔辞でそう切り出した。

「今まで話したことのない永さんの話をします。深夜、自宅で仕事をしていてアゴが外れた時のこと。整形外科を探してタクシーに乗ったけれど『アフェ、ハフェ』というばかりで声が出ない。自宅に戻って紙に字を書いて整形外科まで行ったんですって。医者は足で顔を踏んでアゴをはめて、『あれ、永さんだ』と初めてわかったそうです」

 これで会場の笑いを誘うと、もう黒柳さんの話は止まらない。

「私は永さんと60年以上のお付き合い。若い頃は渥美清さんや永さんとNHKの仕事の後でよく中華料理店に行きました。お金があまりないからエビチリを頼んでも1人3個だけと私が叫ぶと、渥美さんは稼いでいくらでも食べさせてあげるよと言ってくれた。永さんは今がいちばん幸せなんだと大往生みたいなことをその頃から言ってらした」

 放送作家や作詞家として特異な才能を発揮した永さんだが、人づきあいも独特だった。

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