テレビ局の控室でひと眠りする渥美清=1967年 (c)朝日新聞社
テレビ局の控室でひと眠りする渥美清=1967年 (c)朝日新聞社

 映画「男はつらいよ」シリーズで“寅さん”を演じた渥美清さんが亡くなって、8月4日で20年になる。「渥美清 没後20年寅さんの向こうに」(週刊朝日MOOK)では、吉永小百合さん、浅丘ルリ子さん、松坂慶子さんら歴代マドンナをはじめ、総勢約50人が渥美清を語る。今回はその中から、本当の兄妹のようだった黒柳徹子さんの語り下ろしを抜粋。黒柳さんが尽きせぬ“兄ちゃん”への思いを語ってくれた。

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 初めて共演したのはNHKドラマ「お父さんの季節」(1958~61年)です。渥美さんとお見合い結婚する役でした。浅草から来た人だと聞いて、気をつけなくちゃ、怖いかもしれないと思いました。目が鋭かったのを覚えています。低いうなり声をあげ、遠くのほうからこっちを狙っているみたいな、油断できない「喧嘩犬」みたいな感じでした。

 でも向こうは向こうで、いままで自分が付き合ってきた浅草のストリッパーたちと違うので警戒していたのではないでしょうか。台本の読み合わせのときでしたか、私がふざけて冗談を言ったら「なんだ、このアマ」と言うのです。「アマっておっしゃいますと?」と私が聞き返すと「あーあ、やだやだ。この手の女はやだ」と言い返されましたね。

 そのころNHKのスタジオは千代田区の内幸町にありました。浅草では、舞台の上は神聖な場所なので自分の靴で歩いちゃいけなかったそうです。だから渥美さんも最初は靴を脱いで裸足でスタジオに入ってきました。きらびやかなテレビの世界に出てきたばかりなので気負いもあったのかもしれません。

 あだ名をつけるのがとても上手でした。私は「カラス天狗」。「ニンニク食って、高く飛べよ。カラス天狗」と言うのです。あとで渥美さんから教えてもらったのですが、私も渥美さんに向かってこんなことを言ったそうです。「あなたね、『このアマ』なんて言ったり、人のことをカラス天狗なんて言ったりしないで、本を読まなきゃ駄目よ」と。私はサンテグジュペリの『星の王子さま』を贈りました。「お嬢さん、私に読書の大切さを教えてくれたのはあなたですよ」と渥美さんは後年、おっしゃっていました。

 次第に気が合うようになり「お嬢さん」「兄ちゃん」とお互いに呼ぶようになりました。いつも一緒なので「うわさのカップル」と週刊誌に騒がれたときもありました。「お嬢さん、考えてもごらんなさい。僕の顔であなたの声ですよ。子どもが生まれたらタレントにするしかないじゃないですか」って冗談を言っていました。ですが私は当時NHKに所属していたのでちゃんとした写真があったのですが、渥美さんは「夢であいましょう」に出たときに撮影したチンドン屋さんの写真しかなく、チンドン屋さんの格好で雑誌に掲載されたのです。「俺はいつもこんな格好していない」って怒っていましたね。

 お正月に一緒に新宿の映画館で寅さん映画を何度も見ました。私がどんな場面で笑うのか知りたがっていたのでしょうね。「馬鹿だねえ」と言ってとても楽しそうでした。「徹子の部屋」に1回出ていただいたことがあります。1979年の放送でした。「お嬢さん、ほかにもっとおもしろい話をする人がいるじゃありませんか。あたしの話なんぞ、だれも聞きたくありませんよ」と言ってその後の出演は辞退されましたが……。

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