小室哲哉、赤川次郎の名も!「長者番付」に見る億万長者の移り変わり (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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小室哲哉、赤川次郎の名も!「長者番付」に見る億万長者の移り変わり

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赤川次郎氏 (c)朝日新聞社

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日本の長者番付

菊地浩之著

978-4582857641

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 かつては多額の税金を納めた人の氏名を税務署が毎年公表し、長者番付として話題を集めた。『日本の長者番付』(平凡社新書)の著者で経済学博士の菊地浩之さんに、これまでの億万長者の移り変わりを聞いた。(文中の社名や肩書は当時、敬称略)

 終戦直後の番付は石炭業の経営者が上位でした。1950年代半ばから家電メーカーが増えます。三洋電機社長の井植歳男は、54年に株式を上場して1位に。創業者は上場を機に保有株で巨額の富を得て、上位入りするのが一般的です。

■50年代 家電が後押し

 57年の1位は、3年連続で松下電器産業社長の松下幸之助。歳男の義兄です。テレビ、冷蔵庫、洗濯機が「三種の神器」として普及した時代。松下も三洋も業績を伸ばし、2人は60年代初めまで上位の常連でした。幸之助は、55年以降の10年間で計8回も1位。事業拡大とともに資本金を増やし、保有株の配当金が増え続けたのです。

 57年の9位は出光興産社長の出光佐三。同社は現在、昭和シェル石油との合併に創業家が反対して話題です。今は上場しましたが長年非上場で、労働組合もないユニークな会社です。

■60年代 建設会社に波

 幸之助に代わり、64年から3年続けて1位に輝いたのが、大正製薬社長の上原正吉。63年の上場を機に、有数の資産家の地位を築きました。70年代末までに計6回も番付1位で、9回の幸之助に次ぐ多さ。テレビの普及とともに「リポビタンD」などのCMを積極的に打ち出し、健康食品や大衆薬のメーカーとして知名度を上げました。

 65年は鹿島建設、大林組、熊谷組のトップが10位入りし、建設会社が躍進しました。熊谷組は当時、富山県の黒部川第四発電所(くろよん)を建設した会社。難工事に立ち向かう姿は「黒部の太陽」として小説や映画になり、注目を集めました。

■70年代 土地売却明暗

 70年代は土地長者の時代。オイルショックで経済が一時停滞した時期で、不動産売却で上位入りする資産家が多かったのです。69年からの税制改正で大きな土地を手放す地主に優遇措置がとられたこともあり、税の安いうちに売る動きが相次いだようです。


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