作詞家・売野雅勇インタビュー「80年代のアイドルブームは詞がキャッチコピーになって生まれた」 (1/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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作詞家・売野雅勇インタビュー「80年代のアイドルブームは詞がキャッチコピーになって生まれた」

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作詞家売野雅勇うりの・まさお/1951年生まれ。広告会社、コピーライターなどを経て、81年にシャネルズの「星くずのダンス・ホール」で作詞家デビュー。82年に中森明菜の「少女A」が大ヒットし、以降は作曲家・芹澤廣明氏とのコンビでチェッカーズの一連のヒット曲を生み出した(撮影/写真部・長谷川唯)

作詞家売野雅勇
うりの・まさお/1951年生まれ。広告会社、コピーライターなどを経て、81年にシャネルズの「星くずのダンス・ホール」で作詞家デビュー。82年に中森明菜の「少女A」が大ヒットし、以降は作曲家・芹澤廣明氏とのコンビでチェッカーズの一連のヒット曲を生み出した(撮影/写真部・長谷川唯)

 中森明菜の「少女A」は元々、沢田研二のために書かれた詩だった――。明菜だけでなく、「涙のリクエスト」「六本木純情派」「2億4千万の瞳」など数々の大ヒット曲を手掛けた作詞家の売野雅勇氏。『緊急復刊朝日ジャーナル』(7月5日発売)では、売野氏がそうした名曲が誕生した意外な瞬間を語ってくれた。その一部を紹介する。

*  *  *
 中森明菜の「少女A」を書いたことが、作詞家人生の中の一つの転機でした。それまでアイドルの詞を書いたことがなく、書き方を会得する必要がありました。アイドル歌手が歌う詞って、言うなれば、私小説のようなものです。アイドルのイメージを形成するための言葉が、ベクトルを持って並んでいる。詞にはアイドル自身の物語が書いてあるわけです。聴いているほうは、その人自身の物語として、それを聴く。そういう構造ですね。だから、例えば河合奈保子が「ケンカをやめて、私のために」というと、ケンカしている男の子たちへ配慮する優しい女性像が伝わるわけです。虚構の私小説を、しかも他人が書いていることになりますね。

「少女A」は元々コンペに出した詞が採用されたのですが、締め切りまで一行も書けなかった。で、以前に沢田研二用に書いた詞を全編書き直し、まったく別の詞として完成させました。ジュリー用の詞は「ロリータ」という、ジュリーらしき男が、少女をプールサイドで誘惑しているものだった。これが没になって手元に残っていたのですが、あ、ポジションを逆さまにすれば、中森明菜の詞になるかもしれないと閃(ひらめ)いて、同じ設定で、少女から見たプールサイドのエピソードを書いてみたわけです。新人当時、明菜のキャッチフレーズは「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」というものでした。この凡庸なフレーズが、「少女A」につながったのですから驚きです。

 この手法は、後々没作品を再生しようとして何度か試してみましたが、成功しませんでしたね。


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