ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌新連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、フィギュアスケートの羽生結弦選手を取り上げる。
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アイドルとは儚(はかな)くなければいけない。「明日はもうこの姿を観られないかも」と焦らせてくれなければいけない。アイドルはあくまで世の中が作り出すもの。職業ではなく存在の有り様。『アイドル扱い』をされて彼らは覚醒し、さらに世の中を煽る。理由なんて探している暇はない。『今日のアイドルは、明日の嘲笑われ者』。彼らの罪深き性(さが)が、今日も私たちを夢中にさせる。
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アイドルという概念がいささか理屈っぽくなった感のある昨今、久しぶりに現れた逸材、羽生結弦。手の付けられない強さはもちろんのこと、手に負えないほどの縦横無尽さ。そしてそれを許容し、有り難がり、「もっと! もっと!」と貪(むさぼ)る世の中。まさにアイドル文脈の理想型と言えるでしょう。
羽生クンのスゴさは、例えば『転倒したシーン』を『立ち上がるシーン』に変換させてしまう“ヒロイン力”です。『お黙りなさい!転んだのではありません!これから立ち上がるところなのです!』と声高らかに凄まれることで、観ている側の感情も、「勝て!」から「負けないで! ゆづぅ!」になる。女優なんです、彼は。
さらに彼は、ドラマティックさを煽る反射神経においても天才的です。高熱でふらつくステップも、癒えぬ傷口に滲む血も、異様なまでの謙虚でストイックな姿勢も、たとえそれが本能だろうと、緻密な計算と綿密なシミュレーションの賜物だろうと、彼ほどぬかりなく“ひとつ足してくる”人はそういません。ホント痺れます。「またやってるわ」と眉をひそめながらもお漏らししてしまうとはまさにこのこと。アイドルってのは常に紙一重。だから儚いの。