「ストリップ」の誕生秘話(※イメージ)
「ストリップ」の誕生秘話(※イメージ)

 歴史の主役は指導者や英雄でなく、大衆であるはずだ。社会風俗・民俗、放浪芸に造詣が深い、朝日新聞編集委員の小泉信一が、正統な歴史書に出てこない昭和史を大衆の視点からひもといてみる。今回は設立当初から盛況を博した、「ストリップ」の誕生を振り返る。

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 東京・新宿。いまは新宿マルイ本館が立つ一角にあったのが「帝都座ビル」である。1947(昭和22)年1月、「帝都座五階劇場」(定員450人)がビル5階にオープンする。「ヴィナスの誕生」(注)と題した公演。歌や踊りで構成されたショーだったが、その中の一景に観客は目を見張った。カーテンが開くと舞台に大きな額縁。下着をつけて両腕で胸を隠した女性が静止ポーズを取っていた。10秒、20秒、30秒……。カーテンが静かに閉まる。客席から漏れる、ほおーっというため息。

 翌月は「ル・パンテオン」と題した公演。今度は19歳の新人ダンサー甲斐美春が額縁の中で胸を堂々と露出し、西洋画のようなポーズをとった。腰は薄い衣をまとっているだけ。「本物の裸だよ」と評判が評判を呼び、連日大入り満員。やがて「額縁ショー」と呼ばれるようになった。

 大きな額縁の中で、裸の女性が名画のポーズをして見せる──警察当局の摘発を免れるために考案されたコンセプトだった。

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