そのときの感動を、浅草の老舗ストリップ劇場「フランス座」の元支配人、佐山淳さんが『女は天使である』(スパイク)に書いている。「スポットライトに照らされて娘の肌は薄桃色に輝き、乳房を露わにして立っている。それを縁取る額縁が照明の光をきらびやかに照り返し、豪華な『絵』を作り出す。残念なことにその額縁は、娘のへそ下あたりを横切って腰や太股を隠している。それが逆に想像力を刺激するのだ」

「平和な時代にようやくなった」と痛感した人も多かった。画集『にっぽん・ストリップ』(木耳社)で額縁ショーの様子を描いた画家おのざわさんいちさんもそのひとり。帝都座には戦地からの復員姿が目立っていたという。

 額縁ショーを企画したのは、秦豊吉という東京宝塚劇場の元支配人である。一高、東大法学部から三菱商事に入社。33(昭和8)年に東京宝塚劇場に転職し、支配人から社長にまで上り詰めたが、戦後、戦争協力者と見なされて公職追放に。帝都座で巻き返しを図ろうとした秦はひそかに誓った。

「大劇場とは違う、おもしろいもの、斬新なもの、新しいことをやろう」

「額縁ショー」の人気は燎原の火の如く、またたくまに東京中に飛び火し、独自の進化を遂げていく。だが、警察がうるさかった。劇場は考える。

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