作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。北原氏は、「慰安婦」問題は私たちの問題として考えるべきだという。
* * *
「慰安婦」問題が、急に動きだした。12月28日、突然「日韓合意」が発表され、両国外相が「最終的かつ不可逆的に解決」と言い切り、多くのメディアが「歴史的合意」と評価した。正直、あのアベさんと、あのパク・クネさんがやったことを、どのくらい信じていいのか私は分からない。少なくとも、当事者の女性たちには、この「合意」は事前には全く知らされていなかった。
私は「慰安婦」問題について、ここ数年、正確に言えば橋下徹大阪市長(当時)が「慰安婦制度は必要だった」発言をした2013年をきっかけに積極的に関わろうとしてきた。私と同世代の40代の男性政治家による発言は、やはり衝撃的だった。
1991年に初めて「慰安婦」だった女性が声をあげてから、四半世紀。この間、日本政府、そして日本の司法は彼女たちの訴えに耳を貸してこなかった。そのことが問題だ、と私はそれまで思っていたけれど、橋下氏の発言で考えさせられたのだ。「慰安婦」問題を解決させないのは、政府や司法だけではない。私たちの社会における「男の性欲」に対する、ぼんやりと、ふんわりと、とてつもなくゆるく甘い、だけれど非常に強固で女を黙らせ、いやがおうでも従わせるような力を持つ「信仰」のようなものが、「慰安婦」問題に対する理解を、全く深めてこなかったのではないか。男の性欲は国に管理されてでも、女を搾取してでも守られるべき権利であり、優先されるべき「自然」であると、そんなふうに考えるような人を、この社会は育て続けてきたのではないか。
そういう「男の性欲」について、本気で、男の人に向きあってほしい。一緒に、考えていってほしい。そうでなければ、私たちは「慰安婦」問題を解決できる言葉を持たないまま、アベさんの言う「合意」にのまれてしまいかねない。
もちろん、女性だけが「男の性欲」信仰の被害者ではない。男たちも被害者だ。国家に性を管理され、「突撃一番」という狂気としか言いようがないコンドームを配られ、「女を抱け」と列に並ばされる男たちは哀れだ。そしてそんな男たちに利用され、国家に搾取された女たちが置かれ、見た世界を、地獄と呼ぶ以外、なんと表現できるだろう。
今、声をあげている「慰安婦」女性はその地獄を生き抜いてきた。彼女たちの言葉に耳を傾け、「私たちの問題」として考えるべきだ。
※週刊朝日 2016年1月22日号