人の命には限りがある…(※イメージ)
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 四国を平定してからも、戦いに明け暮れた戦国武将・長宗我部元親。長宗我部家17代当主・長宗我部友親は、その晩年を憂う。

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 毎年書く相手が減ってくる。年賀状を出す季節になって、いつもそう思う。人の命には限りがあるのである。

 ところで、それを知った、あるいは悟った人のその後の生き方は様々である。晩節を汚すこともあれば、名を残す人もいる。

 長宗我部元親の場合は如何であったのだろうか。

 元親は、永禄3(1560)年の戸ノ本の戦い(高知市長浜)で22歳のときに初陣を果たし、天正3(1575)年には、一條兼定を破り、土佐を統一している。

 そして、間髪を入れず元親は阿波への侵入を図る。ほぼ同時に伊予にも攻撃の手を伸ばしている。

 元親は、天正13(1585)年の春、伊予の湯築城主、河野通直を倒して四国を統一した。47歳であった。

 だが、その同じ年には秀吉の大軍に攻められて降伏し、阿波、伊予、讃岐の三国を返上、領土は土佐一国とされた。

 元親の戦いはこれで終わらず、その後は秀吉の臣下として、翌年の12月には、豊後の戸次(へつぎ)川(現在の大野川)で、島津軍とぶつかり、嫡男の信親を失った。

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