“箱根”経験者の篠田正浩 駅伝練習中に「映画の世界に進もうと」決意 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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“箱根”経験者の篠田正浩 駅伝練習中に「映画の世界に進もうと」決意

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映画監督篠田正浩しのだ・まさひろ/1931年、岐阜県生まれ。早稲田大学卒業後、松竹に入社。60年、『恋の片道切符』で監督としてデビューした。伝統にとらわれない新しい作風で、大島渚、吉田喜重と並び松竹ヌーベルバーグと称された。65年に松竹を退社し、独立。代表作に『心中天網島』(69年)や『瀬戸内少年野球団』(84年)など(撮影/写真部・加藤夏子)

映画監督
篠田正浩
しのだ・まさひろ/1931年、岐阜県生まれ。早稲田大学卒業後、松竹に入社。60年、『恋の片道切符』で監督としてデビューした。伝統にとらわれない新しい作風で、大島渚、吉田喜重と並び松竹ヌーベルバーグと称された。65年に松竹を退社し、独立。代表作に『心中天網島』(69年)や『瀬戸内少年野球団』(84年)など(撮影/写真部・加藤夏子)

 日本国民は天皇と心中しようとしていたのではないか。終戦で祖国は滅んだと感じた映画監督の篠田正浩さん(84)。学生生活で打ち込んだ陸上競技が映画界に入るきっかけとなったという。

*  *  *
 私は中学2年の春、学徒動員で女子挺身隊と一緒に陸軍の各務原飛行場の軍事工場に徴用されたんです。昭和19(1944)年の7月にサイパン島が陥落すると、これからB29の空襲が毎日あるぞと。飛行場勤務でしたから、B29の航続距離から、私たちはそれが理解できた。もうこの時点でギブアップだったのに、大本営以下、それをしなかったんだね。

 空襲があると飛行機が避難するんですが、ガソリンがないもので上空からすぐに戻らなきゃならない。ところが1トン爆弾が滑走路に落ちると、直径20メートルほどのクレーターができる。動員学徒はその穴埋めをするんですが、間に合わなくなった避難機が脚を畳んで胴体着陸するのを目の当たりにするわけです。そのパイロットが、避難だというのに白いマフラーを締めた正装なんですよね。

 戦後になって焼け跡で歌舞伎を観たら、心中の道行きに出る男女が正装をしている。ああ、日本国民は昭和天皇と心中しようとしていたのかと。学徒動員された時、切腹の仕方も教わったんですからね。戦争が終わって、もう日本は滅んでしまったんだなと――。

 だから私は、走るしかなかった。


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