水木しげるさん。ゲーテのファンで、南方戦線に赴く際も文庫本『ゲーテとの対話』を雑嚢に忍ばせていた (c)朝日新聞社
水木しげるさん。ゲーテのファンで、南方戦線に赴く際も文庫本『ゲーテとの対話』を雑嚢に忍ばせていた (c)朝日新聞社

 名作『ゲゲゲの鬼太郎』で知られる漫画家、水木しげるさんが亡くなった。享年93。太平洋戦争で南方戦線に送られ、左腕を失いながらも生還。妖怪とユーモアを操り、最期まで平和を訴え続けた。

【追悼】2015年に亡くなった著名人

 水木さんは11月30日朝、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。

「2年ほど前にパーティーでお会いしたとき、私を見るなり『おー、ずいぶん老けたのう』と笑われた。『私は水木さんみたいに妖怪じゃないから。でも妖怪(水木さん)のおつむも少し寂しくなったんじゃない?』と頭をなでて笑い合った。おおらかな方だった」

 水木さんと半世紀にわたる親交があった漫画家ちばてつやさん(76)は、そう語り、故人を悼んだ。

「漫画家は体力気力勝負で、ひきこもって不健康な生活をする。そんな中で93歳まで現役を続けたのは素晴らしい、まさに大往生だと思います。ゆっくりお休みくださいと言いたい」

 水木さんは1922(大正11)年に大阪で生まれ、鳥取県境港市で育った。43(昭和18)年に徴兵され、ラバウル(現パプアニューギニア)の戦線へ。味方は全滅し、自身も米軍の爆撃で左腕を失った。

 復員後、魚屋、アパート経営など、さまざまな職業を経て紙芝居を描き始め、58年に漫画家デビュー。幼いころに祖母から聞いたお化けや妖怪の話からイメージを膨らませた『ゲゲゲの鬼太郎』や『悪魔くん』などを大ヒットさせた。戦争体験に基づく『総員玉砕せよ!』や、歴史上の人物を題材にした『劇画ヒットラー』では、戦争の理不尽さを描き、幸福とは何かを問いかけた。名刺には妖怪研究家、冒険家、漫画家、作家と、いくつもの肩書が並んでいた。

 映画史家・比較文学者の四方田犬彦さん(62)は、水木さんとの思い出をこう言って懐かしむ。

「中学1年のときにお手紙を差し上げ、『先生そっくりに絵をまねて、武良(むら)しげるという人が漫画を描いています。けしからんです』と書いた。すぐに返事が来て、『武良しげるはボクの本名です』とあり、鬼太郎の色紙が同封されていた」

 色紙は今も自宅に飾ってあるといい、こう続けた。

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