「父親が教員で、その夜は宿直でいなかった。私が長男ですし、当時は、どんなことがあるかわからない世の中でしたから、母親がいなくなっても、うろたえることはありませんでした。そう教育されていましたから。だから、母が帰ってきてくれただけでよかったのです。理由は聞きませんでした」(國本さん)

 すると、翌日の夜は、宿直もなく帰ってくるはずの父親が帰ってこない。翌々日になって帰ってきた父親は、やはりどこに行っていたのか言わなかった。

 二人がどこに行っていたのか知ったのは、しばらくしてからだったという。

「『安心』というのがいけなかったようです。父は、『教員のくせに家族を教育できないのか』と説教され、非国民だ、スパイだなどと言われたそうです。こんな理不尽なことはありません。この嫌悪感は日が経つうちに強くなってきました。空襲というと、このみじめな経験を思い出して腹立たしい気持ちになります」(同)

 國本さんはその後、高校の教員になり、教え子たちに自身の体験を踏まえて、こう伝えてきた。

「戦争というものは、理不尽を理不尽でなくし、不条理を不条理でなくすることです」

 戦争はいかなる理由があってもしてはいけない。これが、空襲を体験した人の一貫した思いであり願いだ。

週刊朝日 2015年6月26日号より抜粋