病床の天皇が気にした「御辞世」の歌 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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病床の天皇が気にした「御辞世」の歌

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週刊朝日#皇室
昭和61年、85歳の誕生日を前に、皇居内で花をめでる昭和天皇 (c)朝日新聞社 

昭和61年、85歳の誕生日を前に、皇居内で花をめでる昭和天皇 (c)朝日新聞社 

 昭和天皇実録には、興味深い逸話とともに昭和天皇の御製も収められている。昭和天皇の生き生きとした姿を実録と重ね合わせて述懐するのは、昭和天皇の和歌のご相談役をつとめた、歌人の岡野弘彦さん(90)である。昭和天皇の心のひだを、和歌を通して読み解いてゆく。

*  *  *
 昭和天皇はまた、海の原生動物の研究にご熱心で、歌にも多く詠まれた。三首目の歌は実は、昭和四年に関西地方へお出かけになったとき、紀州の博物学者・民俗学者の南方熊楠の案内で、神島に渡り二人だけで海の原生動物などの採集をされた。そのときは台風の後であまりよい標本が採れなかった。これも入江侍従長から聞いた話だが、南方は後にじっくりと採集した標本を、キャラメルの箱に入れて贈ったという。普通なら桐の箱などに収めて献上するのに、キャラメルの大箱に入れてきたのを、天皇は後々まで思い出してよろこばれたという。三十七年のこのお歌も、長く時を経て紀州へ行かれた折の回想である。

 天皇は博物学者でもおありになった。その影響は今の皇族方が、植物学や鳥類、動物類の研究に、それぞれご熱心な面に影響を与えていられるのだと思う。

 まだまだ、触れて申し上げたいことはあるが、最後にひとつ。

 天皇のご病状が重くなって、輸血をなさっているということが伝わってきた頃、徳川義寛侍従長がいつものように御製の原稿を持って国学院大学の理事室を訪ねてこられた。

「お上が、この歌はどうしても決めておきたいとおっしゃるのです」

 と言われた。それは歌集『おほうなばら』に昭和二十年のお歌として収められている、

爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも

 このお作を、天皇ご自身が幾通りかに推敲(すいこう)なさっている、宮内庁の罫紙だった。じっとしばらく拝見して「この形が結構でございます」と言った。次の一首であった。

身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて

「これで、お上もご安心なさいます」と言って徳川さんは帰られた。体じゅうが、じーんと音をたてて鳴っているような思いだった。

 私はこの一首が、昭和天皇の御辞世の歌である、というような気がしている。

週刊朝日  2014年12月19日号より抜粋


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