田原総一朗「慰安婦報告書への抗議を封印した『外交ことなかれ主義』」 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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田原総一朗「慰安婦報告書への抗議を封印した『外交ことなかれ主義』」

連載「ギロン堂」

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慰安婦と戦場の性

秦郁彦著

978-4106005657

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 朝日新聞が今まで誤報を繰り返した「従軍慰安婦報道」。田原総一朗氏が改めて、この問題を検証する。

*  *  *
 朝日新聞が吉田清治という人物の「証言」に踊らされて誤報を繰り返した問題で、あらためて慰安婦問題の報道を点検した。

 そして、1996年2月5日に国連人権委員会に提出されたクマラスワミ報告書にぶつかった。クマラスワミ氏はスリランカ出身の女性法律家で、日本や韓国を訪問し、戦争被害者たちの聞き取り調査をして次のような報告書をまとめたのである。

「元慰安婦の多くは、連行される過程で暴力や強制が広く行われていたことを証言している。さらに、強制連行を行った一人である吉田清治は戦時中の体験を書いた中で、国家総動員法の一部である国民勤労報国会の下で、他の朝鮮人とともに1000人もの女性を『慰安婦』として連行した奴隷狩りに加わっていたことを告白している」

 クマラスワミ報告書は、慰安婦問題を「日本軍の性奴隷制度」と断じていて、この報告書によって、それがいわば国際社会での定説となった。中にはこんな証言の記述もある。

「私たちと一緒にいた朝鮮人の少女の一人が、なぜ一日に40人も相手にしなければならないのかと聞いたことがあります。彼女を懲らしめるために、中隊長ヤマモトは剣で打てと命じました。私たちの目の前で彼女を裸にして手足を縛り、釘の出た板の上にころがし、釘が彼女の血や肉片でおおわれるまでやめませんでした。最後に、彼女の首を切り落としました」

 報告書にはとても現実感を覚えられない箇所が多く、堂々と吉田清治の著書を参考にしたとうたっている。この報告書に対して、日本政府は何の手も打たなかったのか。

 秦郁彦氏の著書『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)によれば、4月10日(1996年)の国連人権委員会はクマラスワミ報告書について討議したが、それに先だち外務省は「日本政府の見解」という40ページの反論書を作成していたということだ。

 同書によれば「見解」は、「女性にたいする暴力および『慰安婦』問題に関して日本政府の行った努力」「事実の記述にたいする反対」「『勧告』にたいする回答」などの5章から構成されていた。そして秦氏は、この「見解」は「おそらく日本政府が国連機関に提出した文書としては、前例がないほど率直、強烈な批判であった」と強調している。

 つまり「見解」は、クマラスワミ報告書には情報の裏付けを取ろうとした形跡がなく、「法的議論は恣意的で、根拠のない国際法の『解釈』にもとづく政治的発言である」と、全面的に否定しているのである。

 ところが外務省は、いったんは人権委員会事務局へ印刷配布のために提出したものの、すぐに撤回しているのだ。なぜなのか。

 秦氏は著書の中で「日本政府はクマラスワミ批判をやめる見返りに、欧米諸国にも報告書の『歓迎』は控えてもらう。そんな取引があったと見る関係者は少なくない」という当時の読売新聞の解説記事を紹介し、「当らずといえども遠からずの観察かと思う」と語っている。

 だがその後、「日本政府と日本帝国軍は20万以上のアジア女性を強制的にアジア各地のレイプセンターの性奴隷とした」という凄まじい記述のマクドゥーガル報告書が出ることになる。日本政府が「見解」を撤回したのは、典型的な“外交ことなかれ主義”で、配慮が裏目に出てしまったのである。

週刊朝日  2014年10月3日号


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田原総一朗

田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年、滋賀県生まれ。60年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。早稲田大学特命教授を歴任する(2017年3月まで)。 現在、「大隈塾」塾頭を務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数

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