塚島成夫さんの日章旗。返還時、久男さんは「よく帰ってきてくれた」と泣きながら旗に語りかけた。署名のほとんどに見覚えがあり、親族の2人は今も健在だ(撮影/関口達朗)
塚島成夫さんの日章旗。返還時、久男さんは「よく帰ってきてくれた」と泣きながら旗に語りかけた。署名のほとんどに見覚えがあり、親族の2人は今も健在だ(撮影/関口達朗)
塚島成夫さん(写真提供:塚島久男さん)
塚島成夫さん(写真提供:塚島久男さん)

 その日章旗は少し黄ばんでおり、一部は破れていた。血痕とおぼしきシミがあり、放射状に約30人の署名が記されていた。これは「寄せ書き日の丸」。第2次世界大戦中、家族や友人たちが出征兵士の無事を願って日章旗に寄せ書きをしたものだ。

 これらはアメリカのネットオークションサイト「eBay」で簡単に検索でき、骨董市場にも流通している。日本兵がお守り代わりに持っていた日章旗が、なぜ売買されているのか。

「旧連合国軍兵士が“記念品”として持ち去ったものです。彼らには敵の旗を奪うのは英雄的行為という認識もありました。これらが記念切手のように売りに出されているのです」  

 そう説明するのは、米・オレゴン州在住の敬子・ジークさん(46)。2009年から夫で歴史家のレックスさん(60)と、戦後70年の15年のお盆までにすべての「寄せ書き日の丸」を遺族に返還する活動「OBON(おぼん)2015」を行っている。

 07年、敬子さんの家族の元に、ビルマ(現ミャンマー)で戦死した祖父の「寄せ書き日の丸」が、カナダの収集家の家族から返還されたことがきっかけだった。 「祖父の遺品が62年も経って、どうしてこんなきれいな状態で戻ってきたのか不思議でなりませんでした。祖国に家族を残し、無念にも死んでいった祖父の気持ちを思うと胸が痛くなり、家族に会いたい一心で戻ってきたのだと思いました」

 冒頭の「寄せ書き日の丸」の持ち主は塚島成夫(つかじましげお)さん(享年22)。今年4月、7歳年下の弟で、東京都葛飾区在住の塚島久男さん(85)の元に戻ってきた。

 イギリスの骨董市でこの日章旗を入手した人が「寄せ書き日の丸」の意味を知り、遺族への返還を決意。何人かの手を経て、「OBON2015」に託された。

 寄せ書きに記された「塚島」という名字が栃木県に多いという手がかりから、久男さんにたどり着いた。

 成夫さんは中学卒業後、日立製作所亀戸工場(東京都)で働いていたが、20歳で徴兵された。当時、久男さんは中学1年生だった。

「明るい兄でしたが、出征前は普段と違って緊張した雰囲気でした。出征当日、神社でお祓(はら)いを受けた兄を見送ったのが最後です」

 成夫さんは1944(昭和19)年10月にビルマで戦死。約70年の時を経て、日章旗だけがビルマからイギリス、アメリカと地球を一周し、日本に帰ってきた。

「外国人兵士が持ち帰ったのは事実ですが、昔は日本人も同じことをやっていた。でも、彼らは悪いと認めて素直に返してくれた。その気持ちがうれしかった」

 この旗を大事に飾るつもりはないという久男さん。

「先日、小学校の先生に平和授業のために旗を貸し出したところ、兄が先生の夢に現れ、『子どもたちにありがとうと伝えて』ってお礼に来たというんです! この旗を多くの人に見てもらい、平和に役立てたい」

週刊朝日  2014年8月22日号より抜粋