南部家第46代当主 「前田利家への恩義から歴代当主の名前には『利』をつけた」 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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南部家第46代当主 「前田利家への恩義から歴代当主の名前には『利』をつけた」

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週刊朝日#歴史

 南部家第46代当主の南部利文氏が、本誌連載「子孫が語る秘話と秘宝」で歴代当主の名前に「利」がつく理由について語った。

*  *  *  
 南部という姓は、初代・光行が、領地だった甲斐の南部郷(現在の山梨県南部町)からとりました。光行は、源頼朝の奥州攻めに参加して手柄を立て、今の青森県の東半分と岩手県北部を拝領したと伝えられています。最初は青森・三戸にお城がありましたが、秀吉の時代に岩手・盛岡に移ります。

 光行から約800年たって、僕で46代目。若くして亡くなる当主も少なくないので、代は進んでいます。

 江戸時代以降、南部家の歴代当主の名前には「利」がつけられていますが、これにはわけがあります。

 秀吉が天下人になったときに、南部家も自分たちの領地を認めてもらう必要がありました。中央から遠い東北にいた南部家は、前田利家を通して秀吉に認めてもらいました。そのご恩を忘れないように、ということで南部家では、名前に「利」の字を使わせていただくことが多くなりました。

 江戸時代もずっとお国替えはありませんが、これは珍しい。鎌倉時代から同じ領地だった家は、大きな藩では、ほかに島津家と相馬家くらいじゃないかな。

 最盛期には青森県のほぼ全域までも支配していました。ところが秀吉の時代に、青森県の西半分が、配下だった武将に奪われて津軽藩になります。だから、南部藩は青森県の東半分と岩手県中部までとなりました。

 そんな歴史があって、南部と津軽は犬猿の仲、とか言われてきました。もちろん、今は僕と津軽藩の当主・津軽さんとの間に遺恨はないですよ。ただ、青森県では、東の南部と西の津軽の間に、むかしの確執みたいなものがまだ残っているらしくて……。

 青森県の県庁所在地は青森市だけど、南部の人たちは八戸が中心だと思っていて、津軽にとっては弘前が中心なんですよ。言葉も南部弁と津軽弁で、お互い理解できないほどちがう。

 東北自動車道が通るとき、地元では、南部側が八戸を経由しろ、津軽側は弘前を通せ、と言って互いに譲らなかった。結局、道路は津軽さんにあげますよ、そのかわり電車はうちを通してもらいます、という話になって、東北新幹線は八戸回りになったらしい。でもこれ、本当かどうかはわからないですよ。

 ほかにも、八戸の人たちはテレビアンテナが岩手のほうを向いていて、青森放送でなくて岩手放送を受信する、とかね。ほとんど酒の席での話ですが、僕に気をつかっているんでしょうかね。三戸や八戸あたりに行くと、「殿様、うちは岩手の新聞取ってます」とか、そんなことを言う人もいますからね(笑)。

 お城のあった盛岡には、テニスコートもあるお屋敷がありましたが、戦後、GHQに接収されて、今は中央公民館になっています。東京だと、上屋敷が日比谷公園に、下屋敷は南麻布の有栖川宮記念公園になっています。有栖川宮記念公園の近くには、南部坂とか盛岡町交番といった南部家にゆかりのある名があります。盛岡町はもうないけど、交番の名前で残っている。

 とはいえ、南部家と言っても、東北以外だと知らない人が多いでしょう。南部せんべいと南部鉄瓶は、全国区の知名度だからみんな知っているようですけど。
<次号に続く>

(構成 本誌・横山健)

週刊朝日  2014年5月30日号


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