子孫が語る「豊臣秀吉の軍師・竹中半兵衛」の本当の顔
雛人形や五月人形などを作る人形師3代目で、豊臣秀吉の軍師だった竹中半兵衛の18代目子孫である竹中重男(79)さん。子孫が語る戦国軍師たちの秘話とは。
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半兵衛は、秀吉の片腕として活躍した天才軍師です。同じく秀吉に仕えた黒田官兵衛と並び、「両兵衛」「二兵衛」と呼ばれました。若いころには、わずか十数人で稲葉山城を奪取したことがあるほどです。
子孫とはいっても、半兵衛については、小説などから得た知識が多いです。それでも祖父は、半兵衛は学者風で静かな物腰だったみたいだとか言っていました。
時代は下りますが、幕末に陸軍奉行だった曽祖父の重固(しげかた)のことは、父親からよく聞かされました。重固は鳥羽伏見の戦いで、旧幕府軍を指揮しました。その後は、東北へ行って会津を救おうとしたり、函館で榎本武揚軍にも参加しています。だから、うちでは、NHK大河ドラマ「八重の桜」を見ることができなかった。悲しくて。
うちは人形師をしています。私で3代目。重固の娘、私の祖母・鶴が初代です。人形師というよりも、内職だったと思いますけど。維新の後に武士から平民になり、食べていくことができなくなったから、生活のために始めたんじゃないでしょうか。

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