2009年12月、兵庫県養父市のコンサートで、ファンひとりひとりと握手する島倉さん (c)朝日新聞社 @@写禁
2009年12月、兵庫県養父市のコンサートで、ファンひとりひとりと握手する島倉さん (c)朝日新聞社 @@写禁

 11月8日、かねて療養中だった演歌歌手の島倉千代子さん(本名同じ)が、肝臓がんのため亡くなった。大ヒット曲「人生いろいろ」の歌詞そのままに、波瀾万丈(はらんばんじょう)だったその人生。訃報(ふほう)を受けて悲しみに暮れる人々が後を絶たない。

 死去の当日、ものまねタレントのコロッケ氏は涙を浮かべて故人をしのんだ。

「他人の借金を背負ったり、離婚を経験したり、乳がんと闘ったり、さんざん苦労をされてきたと思います。とにかく『ゆっくり休んでください』とお伝えしたいです。20年以上のお付き合いでしたが、ものまねをさせていただいていた私に、最初から優しくしてくださいました。いつも笑っていて、誰に対しても分け隔てのない方でした」

 芸能リポーターの川内天子氏も島倉さんの優しさに魅了された一人だ。

「お召し物についてよく質問をしていたら、ある日突然、着物をいただいた経験があります。一芸能リポーターの私にも、友達のように話をしてくださいました。僭越(せんえつ)ではありますが、大御所には珍しい、気さくな方だったと思います。あくまでも私の推測ですが、多くのトラブルに巻き込まれてしまった理由は、天真爛漫(てんしんらんまん)すぎて人を疑わなかったからなのかもしれません」

 他人には優しかった島倉さんだが、自身には厳しい性格だったという。コロッケ氏は島倉さんの芸に対する真摯(しんし)な姿勢を振り返る。

「驚いたのが、舞台の中央に出ていく歩数まで、きちんと決められていることです。『お客さんに喜んでいただくためには、そこまで計算しなければ』とおっしゃっていました」

 島倉さんを「母さん」と慕っていた歌手の小林幸子氏も、「本番前に『サチを呼んで!』と言うので、私が駆けつけると、手を握って震えているんです。でも、ステージに出ると、何もなかったように凜と歌っていました。その姿を今でも鮮明に覚えています」とプロ意識の高さが垣間見えた瞬間の秘話を、明らかにした。

 伝記『島倉千代子という人生』(新潮文庫)の著者、ジャーナリストの田勢康弘氏は語る。

「歌のこと以外は何も考えていないような方でした。16歳でデビューしてから、常に大勢の人間の中心にいたのです。だからこそのつまずきも多かったとは思いますが、今の時代、はたして彼女のように周囲の誰からも“看板”と呼ばれるほどの歌手が存在するでしょうか」

 芸一筋だったゆえに、子どももなく、事務所スタッフにみとられて幕を下ろした人生。享年75。この先、彼女を超える「人生いろいろ」を歌う歌手は、もはや現れないだろう。合掌。

週刊朝日 2013年11月22日号