3.11の東日本大震災により、海岸部が津波の直撃を受けた宮城県仙台市。海沿いの仙台市若林区は約6割が浸水している。伊達家18代目の当主の伊達泰宗さん(54)は伊達政宗が復興に尽力したと言われる「慶長三陸地震」と東日本大震災とを重ね合わせる。

「政宗公の時代、今回の地震のちょうど400年前、慶長の大津波に襲われています。仙台領の沿岸地域は広く、いまの岩手県南半分から福島県の沿岸部までありましたが、このとき、数千人が亡くなっています」

 1611(慶長16)年の「慶長三陸地震」については、わずかな史料しか残されていない。伊達家が編纂(へんさん)した「貞山公治家記録」には、「御領内二於テ千七百八十三人溺死シ、牛馬八十五匹溺死ス」とあり、幕府の「駿府記」には、「溺死者五千人」と書かれている。

「政宗公は事態を幕府に報告するとともに、いちはやく復興にとりかかっています。奥州街道を一部内陸側に移し、米を安全かつ早く運ぶ物流ルートとして運河『貞山掘(ていざんぼり)』を造り、北上川河口の石巻を集積地として整備しました。また、沿岸地域の新田開発によって、江戸中期には、伊達62万石は実質100万石を超えるほどになりました。私も震災で人生観が変わりましたが、政宗公にとっても大きな転機であったのでは。慶長の復興事業は、未来を見据えた一大プロジェクトだったと思います」

 そのプロジェクトが実を結び、現在の仙台、宮城県があるのかもしれない。

週刊朝日 2013年3月22日号