江戸時代、外国との交易が許されていた長崎の出島にはさまざまな外国菓子が入ってきた。カステラなどは代表的だが、実はおでんでお馴染みの「がんもどき」もそのひとつだという。料理研究家の柳谷晃子さんは次のように説明する。

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 出島に伝わった南蛮菓子の代表格がカステラです。カステラという名称の由来には諸説ありますが、スペインのカスティーリャ国の菓子を意味するポルトガル語「ボーロ・デ・カスティーリャ」から、という説が有力です。

 日本人で初めてカステラを食べたのは、平戸藩3代藩主・松浦隆信といわれていて、慶長18(1613)年、開設したばかりのイギリス商館から病気見舞いとして葡萄酒、砂糖漬けの果物、金平糖、カステラ2箱を贈られたという記録があります。

 この頃、伊藤小七郎という人がポルトガル人からカステラの作り方を習い、子孫に伝えたと、荒木周道著『幕府時代の長崎』(長崎市役所所蔵版)にあります。その後、日本人の味覚に合うよう出島の外の長崎で工夫が重ねられ、あのしっとりフワフワのカステラが誕生しました。

 一方、「飛竜頭」(ひりょうず)といえば、「がんもどき」のことですが、実はポルトガルの揚げ菓子「フィリョース」がその起源です。フィリョースは、小麦粉と卵を混ぜて丸く揚げたものに蜜状の砂糖をかける、ドーナツに近いお菓子です。

 このお菓子もカスティーリャと前後して日本に伝わりましたが、17世紀末から18世紀初頭にかけて、まったく別の食べ物になりました。精進料理で、雁のつくねの代わりに豆腐やキクラゲ、人参などを入れて油で揚げた「もどき料理」。その形がたまたまフィリョースに似ていたため、飛竜頭と呼ばれるようになったと見られています。

週刊朝日 2013年1月25日号