自民党・野田聖子議員(51)の子どもが重体――。

 11月初め、永田町に衝撃的なうわさが流れた。

 野田議員のブログには、生後10カ月の長男・真輝(まさき)君の壮絶な病状が記されていた。そこで、野田議員に「愛息」の病状を聞きに訪ねたが、重篤な状況にもかかわらず、前向きで明るい表情は最後まで変わらなかった。》

 10月17日の朝、自宅にいると、「真輝君の呼吸がおかしくなったので、ただちに病院に来てください」と病院から電話がありました。「死ぬってこと?」という思いが頭の中をかけめぐり、まるで小説のように体がわなわな震えました。9月の初めに血便が出て、5キロあった体重が4キロまで落ちていたのが、ようやく元気になってきたところだったので、油断していました。

《真輝君は、へその緒の中に肝臓が飛び出す「臍帯(さいたい)ヘルニア」と、本来2本ある心臓につながる血管が1本しかない「心臓疾患」の障害を持っていることが、生まれる前にわかっていた。それでも野田議員は産むことを決断し、今年1月6日、真輝君を出産した。》

 今回の呼吸停止は、食道が途中で閉じる「食道閉鎖症」がもとで発症した「気管軟化症」が原因です。気管に十分な硬さがないので、激しく泣いたときに気管の壁同士がくっついてしまい、3分ほど呼吸が止まりました。ドクターの懸命の治療で心肺停止は免れましたが、5月に手術した心臓の人工血管に血栓ができていることがわかり、緊急手術をしました。昨日まで元気だった息子の変わり果てた姿に愕然(がくぜん)としました。

 その後も数度にわたり呼吸が止まりそうになったので、11月15日に気管切開して人工呼吸器をつけました。呼吸停止のリスクは減少し、ひとまず危機的状況は回避しています。

 しかし、呼吸が停止した際、低酸素のためなのか、血栓が脳に流れたためなのかわかりませんが、左脳の運動野が脳梗塞(こうそく)を起こし、右半身が麻痺(まひ)しています。それでも、少しずつ右手が動くようになってきていて、回復力にドクターも驚いているほどです。何よりうれしいのは、顔に装着されていた人工呼吸器が外れて、顔全体が見られるようになったこと。

《そう話す野田議員は、記者に真輝君の写真を見せてくれた。呼吸が止まる2日前の写真には、瞳を大きく見開く元気な姿が写っていた。だが、手術後の写真は、小さな体に大手術の痕が痛々しく刻まれている。》

 うちの子どもは八方美人で誰に対しても笑うんです。ドクターや看護師さんから「真輝君って本当に愛想がいいですよね」ってよく言われます。どんなにつらいときでも笑っている不思議な子です。生まれてから今まで、息子は7回の大きな手術をしていますが、痛ましいというより、手術に耐えられる息子の体力を誇りに思います。障害を持って生まれた息子ですが、産んだことは後悔していません。

 私には、息子が生きている間は面倒を見る母としての義務があります。私の願いは、「一日一日を生きていてほしい」。ただそれだけですが、だからといって悲観的でもない。私は息子を愛しているし、寄り添って生きたいと思うのです。

 それでも、息子が深刻な事態のときは、パソコンのキーボードも打てないような心境になります。つらい気持ちは、夫と息子の話をしながら励ましあって乗り越えています。

 ブログは、母として書くとどっぷり「涙」になるので、息子の"武勇伝"のつもりでつづっています。このブログが、障害や病気を抱える子どもを持つ母親の方々にとって、少しでも参考になればいいな。

《息子への想いを口にする野田議員が、今一番楽しみにしているのは、真輝君が入院する病院に通うことだ。》

 まるで初めてのデートのときのように、うれしくてムズムズします。心配事はたくさんあるけど、それはおなかにいたときからわかっていたこと。息子にはできないことがありますが、すべての人がオリンピック選手や東大生になれるわけでもないのだから、彼ができることをやればいい。夫には、「野球選手は難しいかもしれないけど、車いすの物理学者・ホーキング博士みたいになれるかも」と言っています。そのためにも、息子の可能性を最大限に伸ばせる、明るい親になりたい。それと、女性に優しい男の子になってほしいな。

 でも今はまだ、危機的状況を乗り越える息子の逆転人生に、勇気づけられている毎日です。これだけ親孝行な子はいないというくらい、幸せです。とっても。  

週刊朝日