10月13日(日本時間)に始まった南米チリのサンホセ鉱山で地下に閉じ込められた33人の救出劇は、世界中の注目を集めた。3千人もの報道陣が集まり、推定10億人がテレビ画像を見守ったと伝えられている。

 私は41年前の1969年7月、アポロ宇宙船の月着陸を米国で取材したが、あのときも何千人という報道陣が集まり、月からの中継画像を5億人が見たといわれた。チリ鉱山の事件は月着陸ほど珍しい出来事でもないのに、アポロを上回るほど多くの人の心を惹きつけたのは、なぜなのか。

 おそらく、状況の分かりやすさが、「自分だったら」「家族だったら」と人々の想像の輪を広げて、心から「よかったなあ」と思えたからだろう。

 ところで、一連の報道のなかで、私の目を引いた小さな記事があった。10月14日の読売新聞朝刊に載っていた特派員電で、
 「チリ政府は13日、サンホセ鉱山の救出作業で、厳しい報道規制措置をとった。カプセルが出入りする救出現場の取材が許可されたのは、国営テレビと政府直属のカメラマンだけで、放映される映像は30秒遅れだった。政権に打撃となるようなトラブルが起きても、そのまま映像が流れないようにしたとみられている」
 というものだった。

 なぜそんなことを、と不思議に思いながらテレビ画像を見つめていたが、私が見落としたのか、そのような「お断り」を報じたテレビ局はなかった。ほぼ1週間後の10月22日の朝日新聞の夕刊に「チリ救出『生中継せよ』大統領、直前命令」という記事が出て、ナゾの一部は解けた。

 記事によると、最初は録画中継の予定だったが、「12日、救出直前にピニェラ大統領が現地に入り、『作業員が地上に引き上げられた時に死んでいたとしても、隠さず、すべて放送しろ。最善を尽くした。何も恥じることはない』として、救出口の周りの国旗を外させた。かつてテレビ局のオーナーだったピニェラ氏が、生中継で見せることにこだわったという」――。

 30秒遅れの画像が一度も流れなかったのかどうかははっきりしないが、以上のような経過を、私が担当している「マガジン9」の「メディア時評」というウェブの欄に書いたところ、読者から「アポロの月着陸の画像も10秒遅れだったことを知っていますか」というメールをもらって、飛び上がるほどびっくりした。

 私は、現役の新聞記者時代に「読者の素晴らしさ」「読者の優秀さ」、ズバリといえば「読者の怖さ」ということを何度も心に刻み付けられており、今回もまた、「現場にいた新聞記者が全く知らないことを知っている読者がいるなんて」と仰天したわけである。

 メールをくれた方は東京都の吉崎剛氏(55)で、
 「アポロのころアマチュア無線をやっていた技術少年で、月着陸に夢中でした。10秒遅れの記事が出ていたのは、米国のアマチュア無線家向けの技術雑誌『CQ誌』で、ケンタッキー州に住むアマチュア無線家、ラリー・ベイジンガー氏が月着陸船と月面の宇宙飛行士との会話を直接受信することに成功し、テレビ画像が10秒遅れであることを確認、ただし会話の内容は全く同じだった、と報告していたのです」

 わずか10秒で事故時の対応などできるのかなと不思議に思ったりもするが、吉崎氏によると、10秒遅れはその後も危機管理の一つとして米国ではときどき使われたそうだ。

 ところで、当時、現地でささやかれていた冗談に、「あの映像は全部つくりもので、月へは行っていないのだ」という噂話があった。「どこかの砂漠でロケしたのだ」と悪乗りした話まで加わって、面白がっていたようである。

 それから30年あまりの歳月が経って、「アポロって本当に月へ行ったの?」というテレビ番組が2001年に米国でつくられ、日本でも放映された。「空気がないはずの月面で星条旗がはためいている」とか、「月面での宇宙船の影が違う方向にのびていた」とか、数々の「証拠」を示して、実は月に行っていないのだ、と主張する番組だった。

 もちろん、これはドキュメンタリーではなく、エンターテインメントとして作られたものだが、番組を信じた視聴者のあまりの多さに、最初は無視していたNASA(米航空宇宙局)も反論に立たざるを得なかったと報じられた。

◆国家は嘘をつく、映像捏造も簡単◆

 当時この番組を見た、私が教えていた国際基督教大学の学生たちから「本当に行ったのか」と訊かれて、返答に困ったことを覚えているが、なぜそう思ったのか訊くと、
 「国家は国民に平気でウソをつくし、映像の捏造なんて簡単だから」
 という答えが返ってきた。

 映像がもつ強い説得力に対して、逆に「映像にだまされるな」という警戒心が「映像世代」といわれる若者たちの間に育っているのだな、と感じた。月着陸はウソだったという話は、いまだに尾を引いており、なんとなく疑問を抱いている人は少なくない。アポロ17号以来、月に行った人がいないことが、人々の不信感を高めている一因であることは間違いなかろう。

 話は飛ぶが、この話からの連想で、沖縄密約のような国家が国民に平気でウソをついている状態を許してはいけないのだ、とあらためて思った。

 もう一つ、国家が国民に知らせる情報をコントロールしようとすること自体も、本来は許されるべきことではないだろう。

 チリの鉱山で救出作業が続いているころ、中国の民主化運動の闘士、劉暁波氏にノーベル平和賞が授与されることが決まった。中国政府はそのニュースを国内メディアに報道させず、外国メディアのテレビ画像は真っ黒にしたという。ネット人口が何億人にも達している中国でそんなことをしても、かえって政府への不信感を増幅させるだけだろう。

 ほかでもないこの日本でも、尖閣諸島沖の漁船衝突をめぐり、政府が非公開の方針で臨んでいた映像が、誰もが自由に閲覧できるネット上のサイト「ユーチューブ」に流される事件が起きた。海上保安庁の職員が自分が流したと名乗り出たが、検察当局はこのほど、国家公務員法の守秘義務違反容疑での逮捕は見送った。その判断の当否は別として、彼が「国民が見たかった映像を公開してくれた」として多くの国民から英雄視された事実は重い。

 どこの国でも政府に都合の悪い情報はコントロールしたくなるものらしい。だが、もはやそれがやりにくい時代なのであろう。チリ鉱山の救出劇をめぐる30秒遅れの話題から、どんな時代であれ「報道の自由」の大切さは変わらない、とあらためてかみしめた次第である。

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 しばた・てつじ 1935年、東京生まれ。東京大学理学部卒。朝日新聞社入社。東京本社科学部長、社会部長、出版局長などを経て国際基督教大学客員教授などを歴任。著書に『国境なき大陸南極 きみに伝えたい地球を救うヒント』(冨山房インターナショナル)、『新聞記者という仕事』(集英社新書)、『科学事件』(岩波新書)など


週刊朝日

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